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【少女向けアニメの誕生】

 

個人的この1作

 魔法使いサリー 

 

元祖・魔法少女アニメ=『魔法使いサリー』

1966年12月に東映制作でNET(現テレ朝)にて放送開始。

現代まで続く魔女っ子アニメの歴史はこの作品からスタートした。

それまで男子が主人公と決まっていたテレビアニメであったが、視聴者である子供の半分は女の子であることに業界がようやく気付いたのだ。

 

魔法少女は正体を明かしてはならないというフォーマットを確立したのも本作。

ホウキにのって飛行する姿や、魔法を使ってドタバタ劇を解決する様相は、当時アメリカで流行ったテレビドラマ『奥さまは魔女』の影響がみられる。

 

マハリクマハリタ♪

ヤンバラヤンヤンヤン♪

という日本一有名な魔法のフレーズはアニメのオープニングが初出である。

作曲の小林亜星が思わず口にしたものが始まりと言われている。

 

 

17話まではモノクロ映像で18話以降カラーになった。

後年の再放送では18話以降から行われたため、長い間17話以前は幻の映像とされていた。

(現在はネット配信等で普通に見ることが可)

 

1968年末まで丸2年人気アニメとして継続し、円満の最終回を迎えた。

89年に20年の時を経て第2作が制作され、ストーリーは第1作の後日談から始まりサリーが人間界に戻ってくるという正当続編の形を取った。

当然ながらサリーちゃんが30代になっているということはない。

 

 

こんな作品もありました

 リボンの騎士 

 

 マッハGoGoGo 

 

 黄金バット 

同時期に始まった少女向けアニメとして『リボンの騎士』が挙げられる。

東映のサリーに対抗して虫プロがアニメ化した手塚作品であった。

男性の心と女性の心の両方を持つ主人公は、現代の「ジェンダーギャップ」に通ずるテーマで趣深いが、当時としては人気が出ず、視聴率は低迷した。

業界では「手塚作品はもう古い」との声が囁かれ始め、虫プロに所属していた奇才・富野由悠季は『リボンの騎士』を4エピソード演出した後、虫プロを退社している。

 

虫プロが下降線を辿るのと反対に上昇したのがタツノコプロ。

同社が第2作として手掛けた本格レースアニメ『マッハGoGoGo』は大成功。

天才レーサー三船剛のドラマもさることながら、マッハ号のメカも人気が出て玩具も爆売れし、マージンを得たタツプロの経営は大幅に好転した。

本作はアメリカでも早速輸出され『Speed Racer』のタイトルで何度も再放送されるほど絶大な人気を誇った。

簡略した絵でなくリアルな絵を追求した吉田竜夫社長の戦略が的中した。

 

この頃アニメ化された中で変わりダネの作品といえば、原作が戦前(1930年頃)の紙芝居という『黄金バット』である。

「黒いマントを羽織った全身金色の髑髏」という悪役然とした姿にもかかわらず正義の味方というギャップのあるキャラクターは、一世紀前の時代も子供たちに大うけした。

歴史的にも実はアメリカのスーパーマンやバットマンより前の「世界最古のスーパー(変身)ヒーロー」であり、ウルトラマンや仮面ライダーのご先祖様と言える。