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個人的この1作

 ジャングル大帝 

 

1964年の東京オリンピックを契機に日本でもカラーテレビの普及が大幅に進んだ。

とはいえ流される番組の大半はまだまだモノクロが基本であったが、いずれはカラーが基本となる流れは明白で、それはアニメとて同様であった。

そんな折、手塚治虫原作の『ジャングル大帝』が国内初の長編シリーズのカラーアニメとして制作されることが決定する。

 

虫プロダクション設立者の手塚は、東映動画らの他社テレビアニメ参入に際し、自らの作品をカラー化することで他社作との差別化を図ろうとした。

しかしながらカラーアニメはモノクロとは比べ物にならない程の制作費が掛かり、テレビ局の予算では賄えないのは目に見えていたことから、虫プロは企画段階から本作をアメリカへ輸出することを模索する。

 

『ジャングル大帝』の米国放送権を得る上で条件とされたのが、ストーリーを連続させず1話完結とさせることだった。

原作は主人公の白き獅子レオを主人公とした親子3代の壮大な大河ドラマであるが、アメリカにおける放送にあたっては回を前後させられたり省かれたりされるため、原作の設定だけ借りて新たにレオと動物たちの短編物語を作らねばならなかった。

その他にも、黒人差別や動物虐待など配慮しなければならない点が多くあった。

 

カラー化&アメリカへの輸出と並んで本作は、音楽に注力した点も特筆すべきだ。

作曲家の冨田勲によるフルオーケストラの曲を毎回、画面に合わせて作曲させ挿入歌も大量に取り入れ、全体の制作費の3分の1が音楽のために使われた。

中でも1話分の制作費を投入して作られた雄大なオープニングテーマは、放送局のフジテレビの評判も上々であった。

 

 

しかしながら1965年10月6日に放送された第1話は視聴率19%と振るわず(アトムは常時30%であった)。

大金を投じて作られたカラー作品であったが、肝心のカラーテレビがそこまで普及してなく、美しい映像が各家庭に広まらなかったのはフジテレビの誤算であった。

それでも評価された本作は数々の賞を受賞し、翌年にはレオが成人して子供を持った続編『ジャングル大帝 進めレオ!』が制作される。

 

『Kimba the White Lion』のタイトルでアメリカでも放送された本作は、海外でも人気を博す。

30年後の1994年にディズニーによって製作された『ライオン・キング』は、度々本作との類似が指摘される。

ディズニーは盗作疑惑をきっぱりと否定しているものの、事実として主要スタッフは幼少時『Kimba the White Lion』を見て育った世代だ。

憧れ続けたディズニーに自身の作品を参考にされたことを知ったら、手塚本人はどう思っただろうか。1989年に氏が死去した今、推測することしかできない。

 

 

 

こんな作品もありました

 ビッグX 

 

 宇宙エース 

 オバケのQ太郎 

この頃アニメ業界は、虫プロ・TCJ(現エイケン)・東映動画の3強時代が終わり、東京ムービー、スタジオ・ゼロ、タツノコプロら制作会社が一挙に増えて戦国時代となる。

 

1964年8月には、東京ムービーが第1作として手塚治虫原作の『ビッグX』を放送するが、アニメ制作のノウハウのない同社は、大赤字を出し経営破綻寸前に陥る。

アニメーションの出来も散々だったが、作画の良し悪しが人気に直結する時代ではないので当時はそれなりに人気を博した。

 

1965年5月には、漫画家の吉田竜夫が立ち上げたタツノコプロダクションが第1作『宇宙エース』を放送。

当初は吉田が原作を担当し、東映動画にアニメを制作を委託する予定だったが、著作権の配分を巡って共同制作が決裂し、すべてタツノコが制作することになった。

吉田の実弟・九里一平や演出の笹川ひろし、原征太郎などの若手勢が協力した本作は、名実的にも後年のタツノコ傑作SFアニメの源流といえる作品である。

 

経営危機に陥っていた東京ムービーは、東映動画から独立したアニメーター楠部大吉郎に声をかけ、楠部が代表となってAプロダクション(現シンエイ動画)を設立。東京ムービーとAプロは業務提携の形を採り、東京ムービーは企画・管理を担当し、作画・撮影など実制作をAプロに委託する体制となる。

この体制で制作・放送した『オバケのQ太郎』は大ヒットし、人気・視聴率的にも業界初の「アトム越え」を果たす。

これまでのアニメがSFや冒険バトルが主流だった中、日常ギャグアニメが空前の大ブームを起こしたことは、以後の作品に大きな影響をもたらした。

 

オバQの原作者・藤子不二雄も所属した「トキワ荘グループ」で結成されるアニメ制作会社スタジオ・ゼロも既に設立はされていたが、現段階の規模ではシリーズアニメを作るのは不可能であった。

同社にとって、自分たちの作品であるオバQを東京ムービーに取られたのは屈辱であったが、翌年以降制作される『おそ松くん』や『パーマン』にてその雪辱は果たされることになる。

 


 

参考資料