5月18日は息子の誕生日でした | 大切なものは目には見えない

大切なものは目には見えない

日々の普通の生活が当たり前だと思っていたけど、それは当たり前では無かった。
今日と同じ明日が必ずあるとは限らない。
本当に大切なものは目には見えないから、私の心が感じたことを忘備録として残します。

お誕生日おめでとう

5月18日

息子の33歳の誕生日でした


今年の誕生日は 信じられないくらい平和でした

昨年の今頃は 1年後の今日に

こんな普通に 息子の誕生日が祝えるなんて

全く予想も出来なかった

この普通の幸せに 感謝の気持ちでいっぱいです

この感謝の気持ちは いつまでも忘れないでいたいと思います


(現在の息子の様子は また別の機会に

順番に書いて行きたいと思います)


やっと本厄が開けました

でも まだ後厄が一年残っています

こういうのって そんなに気にする方では無かったけど

ちょうど前厄くらいの時から いろいろ問題が起こり始めると 何かしら少しは

関係あるんじゃないかと 思ってしまいます



昨年の誕生日は精神科での2回目の入院中でした

1回目の退院後から すぐに息子の体調は崩れました

家に戻って普通に生活出来たのは 

ほんの1週間くらいでした


毎日 生きているのが辛いと言って

激しいリストカットとODの日々

救急車を呼ばなければならない時も

何度かありました


「しにたい」 と何度も何度も

私に訴えてくるのは

生きるのが辛くて どうしようも出来ないけど

それでも なんとかして「生きたい」と言う 

心の叫びだったと思います


そんな息子の姿を見るのが 私には本当に辛かった


しんだら もうお母さんやお父さんにも会えないよ

それでもいいの?

私は嫌だよ

こんな哀しいお別れは出来ないよ


あなたには生きて 幸せになってほしいから

普通の 幸せな人生を送ってほしい


もう一度 あなたの笑顔が見たいよ


この頃 息子は笑わなくなっていました

いつも無表情に近い

泣く時でさえ 表情が変わらなくて

いつも ただ涙だけを流していました


昨年の4月末 GWの少し前

ロープを何度か購入したり

電車に飛び込むとか 具体的な事を言い出すようになり

1人にするのが怖い

でも私には仕事もあり ずっと見張ってられない

もう限界だと思い 2回目の措置入院をお願いしました


いつもなら色々と計画を立てて

楽しいはずの連休も 母の日も

そして自分の誕生日も精神科で入院中でした


さすがに誕生日を一人病院で過ごすのは

可哀想だと思い

先生にお願いして せめて昼食を一緒に食べれるように 外出許可をお願いしました


許可された4時間の外出許可では 

家に帰って また病院に戻るには 時間が足りなくて

病院近くの大きな自然公園の中にある

BBQ広場を予約して 家族で息子の誕生日を祝う事にしました


高齢の私の両親や妹も 孫である息子を心配して 参加してくれました

元気だとは言え 92歳の父に心配をかけていることを 申し訳なく思いました


この時 息子は入院から3週間がたち

2回目の薬の整理をして貰っていたので

入院前よりは少し体調は良くなっていました


それでも その時の写真を見ると

精神薬の副作用でかなり太っていて

顔も浮腫んでいました


そんな辛く苦しい状況の昨年の今頃は

出口の見えない 真っ暗な長いトンネルの中に彷徨っているようで 

いつまでこんな状態が続くのかと…

本当に不安しかない毎日でした


そして この時期 私は今までの色んなストレスが頂点に達して

自分のメンタルが壊れかけてる事に気づきました