2023年3~4月 訪問看護師さんとの出会いとその頃 | 大切なものは目には見えない

大切なものは目には見えない

日々の普通の生活が当たり前だと思っていたけど、それは当たり前では無かった。
今日と同じ明日が必ずあるとは限らない。
本当に大切なものは目には見えないから、私の心が感じたことを忘備録として残します。



1回目の入院の時

保健センターの担当の方に相談して、

息子の退院後の自立支援の申請と訪問看護師さんの手配をお願いしました。


素早い手配のおかげで、退院後にはスムーズに面談、そして担当の訪問看護師さんが決まりました。


最初は週に2回、30分から始まりました。

息子は初対面の人に気軽に心を開くタイプではありません。

なので、最初は病気云々よりも

お互いの信頼関係を築いていくのを優先しますと言われました。


音楽やギターの話、好きなアニメの話、ゲームの話…気分の良い時はいろいろと話せたみたいですが、

気持ちが落ちてる時は、会いたくないと言って寝てて起きて来なかったり

会っても、自分からは何も話さなかったりでした。


私から見た感じでは、あまり進展はなく

本人と訪看さんとはなかなか上手く距離が縮まらない感じでした。


でも本人が会いたくないと部屋から出てこない時などは、代わりに私が困ってる事とかの相談が出来ました。

訪看さんは、私にとってはとても助かる存在で良い相談相手になっていました。


そして、1回目の退院後

もともと大量乱用していた薬を、1ヶ月弱で一気に減らされただけで帰されて

息子の体調は退院当初から、全然良くは無かったです。


身体的にも、薬の副作用と、一気に断薬した為の薬の離脱症状みたいなのが出ていました。


アカシジア~じっと椅子に座って居られない、じっとしていられなくて部屋を歩き回る。

唾液が異常分泌されて涎が止まらない。

なので食事が上手く取りにくい。

そして、不眠。

この頃、元の量に減らされた睡眠薬の量では眠れなくなっていました。


薬のせいで太ったり痩せたり…

太ったんじゃなくて浮腫んでいたのかも知れません


そして、入院前の激しい躁状態を抑える為に

飲んでいた薬のせいで

今度は徐々に深い鬱状態に陥って行きました。


入院前にも自傷行為はありましたが

リストカットでとどまっていましたが、

だんだん鬱状態が強くなるにつれて、希死念慮も強くなって

毎日のように、○にたいというようになりました。


何回もロープを買ったり、

まとめ買いをした100本以上のカミソリを見た時にはゾッとしました。


実際、救急車を呼ばなければならない状態の時も何度かありました。


そんな中で、病院での処方薬を制限されていた彼は、私が知らないうちにまた市販薬のODを始めていました。

最初は、その時の心の辛さを紛らわせる為だけの目的でした。

そして時々の行為だったと思います


その時々の行為が、いつしか(あっという間に)、市販薬への依存症に変わって行くなんて~その時はまだ思ってもしませんでした。