2023年2月 精神科への初めての入院 ③ | 大切なものは目には見えない

大切なものは目には見えない

日々の普通の生活が当たり前だと思っていたけど、それは当たり前では無かった。
今日と同じ明日が必ずあるとは限らない。
本当に大切なものは目には見えないから、私の心が感じたことを忘備録として残します。


息子が初めて入院した病院は、依存性にも取り組んでいる公立の精神医療センターでした。

家の近くの診療内科とは違い、広い敷地内に診療棟、入院棟、児童精神科、デイケア、訪問看護など全てを備えた大きな病院でした。

息子は自分が入院させられるなんて思ってないので、初めて来た大きな精神医療センターに興奮気味でした。

時間通りに、診察室に呼ばれて
本人は最後まで入院を拒みましたが、専門医の判断で措置入院になりました。

私はようやく入院できた事に安堵して
この時はまだ、これで彼を何とかして貰えると甘い考えでいました。

担当医のM先生は若くて今風のイケメンの先生でした。
オシャレな感じで、白衣を来ていなかったら精神科医には見えません。

この先生が担当医になったことが、最初の躓きでした。
2月の初めに入院した息子
その時はまだ知りませんでしたが、M先生は3月末で他病院への移動が決まっていました。

入院後、素早く多量に服薬していた薬は整理されました。
睡眠薬だけが規定量のこされて、あとのほかの薬は一気に止めさせらました。

そして新しく診断された病名は双極性障害の疑いということでした。
躁状態だと判断されて、それを抑える薬が1種類出されました。

発達障害のため出されていたコンサータも中止されました
息子はコンサータにも執着を持っていましたが、この後、この薬は二度と出して貰えなくなりました。

コンサータには麻薬と同じ成分が入っているため誰にでも処方されません
発達障害と認定されて、必要と判断された時に処方されます。
そして、それを処方する医師にも扱う薬局にも認定が必要です。

コンサータは依存性が高いため、一度、依存症だと診断されると
もう二度とその薬は処方出来ないという決まりがあります。

そして、入院してから4週間もたたないうちに、「薬の整理はしました」
「病院では、今、これ以上の治療はできません」と退院を促されました。

病院では確かに一見、息子は穏やかそうに見え、普通に健康そうに見えました。

しかし、そこは病院だから…

多少、具合が悪くても
早く退院したいから、そんなことな言わない。
都合の悪いことは隠します
早く、家に帰りたいから当然です。

私たちは初めての入院で
精神科の入院のシステムとか、何も分からなかった。

そして、担当医M先生は自分の移動日までに担当患者を早く振分ける必要があったんだと思います。(私の勝手な想像ですが)

そんな感じで、依存性の治療とかカウンセリングとかもなく
出来れば、そういう精神薬の乱用がどんなに危険なことかを
もっと息子に伝えて欲しかった

今までの薬を取り上げただけで
あんなに苦労した初めての入院は
たった4週間で退院させられる事になりました。