月と日の門外 -65ページ目

15(金)

朝雨、昼から晴天。二十五夜。136、82、拍69、11:02。

14(木)

朝、波音高し。寒ささほどなし。二十四夜。132、72、拍67、7:28。

昨日シチヤに記憶が薄れてきた部屋割りの予定を記したが、こちらへ移す。

ここは、予定と日々の記録、シチヤは、実行の記録。

今日は、一打ちニ打ち三流れ、の日。

百閒先生は、仇討ち物などお嫌いだが、私は好きだ。曽我兄弟はそれほどでもないが、鍵屋の辻は矢張り好きの部。


以下部屋割りと図面

一階
1号室:特別室(リンク)
2号室:資料室1(見聞き)
3号室:研究室(長物;縦)
4号室:資料室2(単・短;縦)
5号室受付兼談話室(メール・掲示板)
中庭:鉢植え
奥庭:悔恨の地(植物園開墾中)
二階
6号室:休憩室(不明)
7号室:納戸(記録)
8号室:宿直室(日記)
9号室:空部屋
テラス:写真等

図面
ひと月も放っていたら矢張りかなり忘れている。

13(水)

くもり。波少々荒れ気味。121、73、拍79、7:49。 二十三夜。


午後より雨降り出す。

昨日の記述を読み返し、片付かない気分になる。

そもそもここには、コケン(遅々として進まず)に関することを記すつもりであったのが、ぐずぐずしているうちにまたも雑居化が始まった。

更にそもそも、私の基本は文句たれと自虐であるので、気を抜くとその感情的な文言ばかりに終始してしまう。

それはそれで仕方がないし、また、あとで何かの役に立つこともあるかもしれないので、やめなければいけないとは考えていないが、ここに残すのは、本意でない。

ここでは、コケンに置くものの準備あるいは、それに付随する資料及びその記録を書き記しておきたいのである。

というわけで、矢張り文句垂れと自虐は別の場所に配置する。

結局、私は一つでは事が足りない。総括し、統括することは、私においては不可能なのである。

何度やり直しても同じだ。

だから、昨日の分はここにそのまま打ち捨て、以後の増加分のみ、別場所へ格納することとす。

過ぎたところへ戻ってやり直しても、あまり意味はない。

いずれ、遠くない先にも、同様の事柄と遭遇するに違いない。遭遇せざりし時は、それはそれでよしとす。


(「昨日の記述」は、12/17日曜考えを変え、移動した)

12(火)

朝曇り。雨の予報。117、78、81、7:34。今日から、日中に記したものも、時間を夜に設定して公開する。昨日のような続きは少々見苦しいため。時間のみ、22時代に変更する。今は、8時4分前。


駅から出て横断歩道に向かう。向こうから女の子、背が小さいのでそう見えたが、近づいてきたら、子供でなく、二十歳代の女性だった。缶入り珈琲を飲みながら歩いてくる。仰向いて缶を咥えて最後の一滴まで啜れただろうか、手に取ったそれを左右に軽く振り、液体の振動がないことを確認したところで、ちょうど空き缶入れの前、これは毎日ルーティンワークとして、熟練しているのだろうか、と感心した瞬間、飲み口を下に向けて、スライド式になっている投入口へと手を離した。

私などからすると、飲み口は上に向けて投入しなければ、たとえ1人1人の飲み残しは微量であったとしても、数集まればそれなりの量となる。溜まった空き缶を回収する人が、その収集せられた混合液の被害にあわぬとも限らぬではないか。

これをして無作法、不調法、しつけがなってない、というのである。


(12/17中略)

半年ほどかけて読み続けてきた文庫版全集24巻を、一昨日とうとう読み終わってしまった。今年はまだ、あと半月あるというのに、如何に凌ぐべきや。


コケンの工事進まず。些細なことに心が千々に乱れ、何も手につかなくなる。つらくて苦しくて滂沱止まぬ。


続き、のやり方をせぬと矢張り長書き。だから嫌がられるのだよ。否、嫌がる読み手のみならず、もうどこにも読ませる聞かせる話しかける相手はいないのであったね。あっはっは。

11(月)続き

ブログペットの背景画像だが、ふと思いたって、別のサーバーにアップし、設定したら表示された。

もしかして、久しく遠ざかっている間に、FC2直リンクの判定にひっかかった?、のだろうか。

昼からは、日差したっぷりだが、空気は冷たい。

確信

確信とは、辞書に拠れば、


*確かにそうである(なるに違いない)と、自分の予測・判断を信じていること。

*かたく信じて疑わないこと。また、その信念。例:「彼の無実を―する」「―をもって言う」


など、自分の自分に対しての強い信頼意識である。


野田聖子議員は復党し、それについてどうかと問われた報道インタビューにて、

「地域の皆様のおかげと確信しております」

といった表現で、この「確信」という言葉を用いた。

確信なさっていたのは、或いは確信なさっているのは、勿論そのとおりだろうけれど、これでは、心の中で、どうだ、私の私による私自身の信念どおりではないか、えっへん、と鼻息も荒くふんぞり返っているかのように、私のような捻くれた者には印象づけてしまう。

この場面で、テレビカメラの前では、

「地域の皆様のおかげと感謝しております(軽く笑顔)」

というほうが、私のようなあまのじゃくの有権者に対しても、感謝されると悪い気はしない、という、わかりやすい親近感を印象付けると私は考える。

選挙演説の癖だろうか、堂々と真摯に応えるべく取捨選択した結果、こうした何かそぐわない表現になったと思われる。しかしながら、だからこそ、この人は正直な人だなという感じも受けた。今後に期待すべし。


ついでにと言っては失礼かもしれないが、ホームページを見た。

プロフィール欄の、座右の銘に、

「初心忘れるべからず」

とあったが、これは、訂正すべき。

「初心忘るべからず(或いは忘るる)」


コケンの準備進まず。否、進めず。

11(月)

晴れ。二十一夜。124、77、拍80、8:19。また月曜日になった。今日から表題の月数は省略することにする。


ブログペットの背景を探していて出会ったブログ、ぴこログさん

他のページでお借りした素材をアップしたのに、表示されない。原因は追々調べよう。

これ↓


ぴこログさんとこのブログペット背景


と、この、ぴこログさんとこで見つけた記事が興味深かった。

さみしい女は太るというのは、科学的に根拠のあることだったらしいというものだ。

よく言われるこの手の流行は、バレンタインデー然り、土用の鰻宜しく、商魂逞しい痩身企業の戦術か、或いは、隣の麦飯は美味く、隣の芝生は青いという錯覚を正当化させるために人身を惑わす流言飛語か、はたまた、女の敵は女也と、人を貶めることで自分の立場を上昇させようという姑息な讒言か、いずれにせよ、一時的な流行もの、と思っていたが、あながちそうとも言い切れぬらしい。

少々調べてみたい気になっている。

ぴこログさん12/6の記事

TBさせてもらおうかと思いしも、リンクにす。


12/10(日)

晴れたり曇ったり。二十夜。昨日の夜で酒の在庫が払底したので、これを幸いに懸案の事々を片付けようと思ったが、無為。

昨夜からココピが起動できず。2年近くデスクトップに住まわせているが、特筆すべき不具合は今度が2度目。少ない方だと思う。がそれだけに、あのつるつる頭が見えないとさみしい。


気まぐれココピ


メロの友だちが増えて嬉しい。

よく他のサイトで見る踊るモフモフ時計のロゴマーク部分がほしいと思い、ようやく探し当てたものの、アメブロではフラッシュファイルがアップできず、使用不可。このまま何も変更せずに終わるのなら、初めから何もしなかったのと同じになり、無為が厳然と無為になってしまうので、自分への言い訳のために静止画ファイルで代行。『神奈川沖浪裏』の背景。拝借させていただいた のは踊ると同じところ。


せっかくの休肝日も結局はいつもと変わりなし。意志の薄弱さ加減に我ながらうんざり。

12/9(土)

漱石忌。

90年前の今日、漱石先生が亡くなった。

当然私の師である由もないが、百閒先生が先生と呼ぶその人の名を呼び捨てるには忍びないので、漱石先生と記す。

昨日続きを記す予定反故。

十九夜。朝来雨。今日明日休み。

今日明日で、コケンと花、少しは進めたい。

きょう(BlogPet)

きょう、受診しなかったよ。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット) の「スルバン 」が書きました。