揚名とは職名のみあって職掌も俸禄も持たない状態を差します。それが国司の介の場合なら揚名介、受領に限らず関白であっても揚名関白と言われます。こんなことが起こるのも売官横行で名前のみ官職を譲って俸禄などはわがものとしたためです。譲る相手がなければ吉野春風などと架空の相手を仕立てます。

 

 

夜御殿と書いて〈よるのおとど〉、天皇の寝所です。清涼殿の昼御座の北にあって二間四方の一室。東枕に床をしつらえて、枕辺には邪鬼を祓うとされる犀角を二つ、足許には同じく鏡が懸けてあります。上方に厨子があって神璽宝剣が祀られ、蘇芳色の布が掛けられています。神璽のため終夜灯りは絶やさず。

夜御殿

夜御殿 Yoru_no_Otodo

 

 

 

六衛府とは左右ある近衛府、兵衛府、衛門府という宮城並びに洛中の守衛を司る官です。二官八省を包む大内裏とその中核である天皇のいまします内裏を、区画を分けて担当し天皇の身近から近衛 -- 兵衛 -- 衛門の順。近衛は内裏内の諸門、兵衛は内裏出入りの門、衛門は大内裏の門という分担になります。

六衛府 Rokuefu

 

 

 

内裏の警備には他に蔵人に属する滝口の武士があります。午後十時、清凉殿の東の庭に整列すると弓の弦を鳴らして蔵人の誰何に姓名を名乗ります。この儀式を名対面と言って、枕草子にも<蔵人のいと高く踏みこぼめかして / 「誰か侍る」と問ふ程こそをかしけれ>。蔵人は昇殿が聴されるも滝口は庭のみ。

 

 

夜に天皇をお守りするのは武人に留まらず。清凉殿に伺候すると終夜加持祈祷しては就眠する天皇を邪霊、邪気から守る不眠の僧たちがいます。東寺の僧を多く召して、ほかに延暦寺と園城寺からも一名づつ。彼らを夜居僧と言います。光源氏と藤壺の密通を知っていたのも彼ら、夜通し起きてるんですものね。

夜居僧が控えていた二間

夜居僧が控えていた二間

 

 

 

菅原道真の建白によって遣唐使は廃止されますから、838年の派遣が最後ということになります。大使には藤原常嗣、副使が小野篁という布陣。準備に手間取って出帆するも難破。翌年に再度試みますが、再び難破。こうなると危険な一番船に乗りたがらず小野は乗船拒否して渡唐せず。この罪で隠岐に配流。

小野篁

小野篁 Ono_no_Takamura

 

 

 

八月十五日は駒迎へです。この日甲斐、武蔵、信濃、上野の牧場から齎される馬を左馬寮の官人が逢坂関まで出迎えに行きます。藤原高遠の歌はまさにその情景。
 逢坂の関の岩かど踏みならし
 山たちいづるきりはらの駒
馬の勇壮さを称えつついななく晴れの息遣いが聞こえて来そうです。桐原は信濃の地。

冷泉為恭『駒迎図』

冷泉為恭『駒迎図』

 

 

 

夢見の良し悪しが何かと気に掛かる平安の世の中です。『権記』にも瑞祥と覚しき昨夜の夢を主上に申し上げては正夢の機運に喜ばれるさまが描かれます。そんな夢の習わしに寝巻きを返して寝ると恋しいひとの夢を見るとか。小野小町の歌にも<いとせめて恋しきときはぬばたまの夜の衣をかへしてぞぬる>

夜の衣反し

夜の衣反し

 

 

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