とにかく子供心にもぐっと目を引く体躯と風貌ですから小さい頃からテレビで見ては何かれと馴染みのあるひとで、役柄も主人公の前途に岩窟のように立ちはだかる敵だの、怪力無双の僧兵だの、着物から両腕両足を飛び出させては場違いに大きな体を(まるで消え入りたいというように)小さく押し込めようとする善人者だの、然もありそうなところに収まっています。ただそう思い返してみると案外居そうで居ない俳優だったことも身に沁みてきて巨漢と言えばそれこそ戦前から岸井明や横尾泥海男、山口勇(なんて成瀬巳喜男監督『腰辨頑張れ』(1931年)では確かに自分の不甲斐なさに身の起きどころのない棒立ちの大男に見えていたのが、戦後例えばマキノ雅弘監督『おしどり駕籠』(1958年)ではおきゃんな美空ひばりにやきもきする江戸家老でうまい具合にアクも抜けて年齢もこなれてみるとまあ偉丈夫といったところ)、他にも大山健二や戦後には(岸井明の後釜を狙って)千葉信男などもいますが、彼らは自らの体格を陽気さやふてぶてしさに振りこそしても大前均ほどの精悍な魁偉は見当たりません(、強いて言えば天津敏が思い当たりますが彼が同じく大柄の身構えにあって痩せた鋭さに役者の生きる道を賭けたのに対して大前は隆々と惜しげもない筋骨に自分の役者なりを据えていたわけです)。同じ時期黒澤明の映画などで時折ジャイアント馬場を思わせるずば抜けた巨躯を見掛けますが彼などまったく木偶の坊の扱いで大前のように自分の不器用さを金棒のように振り回しては画面に役者の愛嬌を叩きつける一本どっこの活躍には程遠いところです。そんな彼は大学を卒業するとそのまま就職して役者になるなど思いもよらなかったというんですから縁とは異なもので、所属する柔道部が優勝して祝賀会に銀座へと乗り出すと体に任せて大いに飲み食いしているところに(何と!) 錦之助が来合わせて、ひと目見るなり役者になれと着の身着のまま東映京都に引っ張られていったんだとか... 恐るべし、錦之助の気まぐれ。
それにしても子供のときから見慣れていたとは言えそこに留まっていた大前均を私が彼を彼として目で辿るようになったのは大林宣彦監督『ふたり』(1991年)からでしょう。時期から見ればロバート・レッドフォード監督『普通の人々』(1981年)を見据えたような物語でかの映画が成績、素行、ひととのなりと申し分のない兄は勿論家族の、とりわけ母の誇りですが弟とふたりして漕ぎ出したボートが湖中に転覆すると生き残ったのは弟のみ、生きがいの喪失を埋めようのない母の空虚に弟は自らの存在意義を徐々に蝕んでいきます。ここまではほぼ一緒ながら(兄弟である彼らを姉妹にすると)一家は(手を携えるにはそれぞれがあまりに遠く)闇に浸ってもともと精神的に弱い母の姿にひとり取り残される妹が本当の自分を見失ってしまうのではないかと聡明なる本作の姉は幽霊となって彼女の前に現れます。(物語とは次の物語を生んでいくものでやはり娘がひとり取り残されると敗戦後の空漠のなかをよもや生き残ったことに負い目を感じるのではなかろうかとそれこそ死んでも死に切れない思いで原爆に命を奪われた父が寄り添う黒木和雄監督『父と暮せば』(2004年)へと広がっていきます。)それにしても姉が命を落とすことになったのは坂に入り組んだ路地の通学路をたまたま工事で止められたトラックが動き出しそれに押されるまま壁に押し付けられると異変を察知した運転手がトラックの後部を必死で支えて少女を助けようとするも無情なる重量に押し切られて落命したわけです。ここから残された妹の新たな人生が否応なく始まって何をしたところで優秀だった上にいまでは人びとの思い出に刻まれている姉には遠く及ぶはずもなく自分が生きていることの意味なんて陽だまりに飛ぶ綿帽子のようにぼんやり眺めるばかりです。母の期待と失望の深さに引きずり込まれるまま自分が自分であることを見つけられない妹に幽霊である姉は寄り添い、目の前に広がっていく彼女自身の人生を一歩、また一歩前へ促していくでしょう。さて本作での大前均は(まあおわかりの通り)前出のトラック運転手なのですが、映画の余韻のままエンドロールは新たに始まった日常のカットで綴られていくと姉の命を奪った事故現場でいまもひとり手を合わせる大前の姿を映し出され、大きな体を眼前で合わせた手に屈めてひとひとりの命が奪われたことをずっと背負い続けていることが伝わってきます。このカットが入ることで物語には(握られた手を握り返すような)誠実さが世界への信頼となって広がりますし役者にとっても自分が物語のきっかけを作るただの捨て駒ではなくひとりの人間としてきちんと折り返されていることを実感できて大林宣彦のすばらしい目配りです。
踏みしめればいまだに生き血が流れ出しそうな関ヶ原の戦場を這い回って骸から金目のものを剥ぎ取る何ともたくましい子供たちが時代のままに成長してやがて真田十勇士と謳われるそのひとり、常田富士男を弟に(吃音の彼を庇いつつ)鬼に金棒の大立ち回りを演じるのは加藤泰監督『真田風雲録』(1963年)。今村昌平監督『神々の深き欲望』との抱き合わせで紐解けば沖縄ロケの(尋常ではない)苦労話しか聞こえてこない磯見忠彦監督『東シナ海』(1968年)ではやくざ者の内田良平が弟同然に連れ立って大前は中年の大男ながら子供のような精神が内田にただの乱暴者ではない気持ちの柔らかいところを呼び起こさせ、(『ガルシアの首』を先取りするような)死体を抱えて沖縄を這いずり回る喜劇でもシリアスでもある物語の様相を混ぜ返します。山下耕作監督『山口組三代目』(1973年)では高倉健との(聞くところによると大前の方から拳でやり合いましょうよと高倉をけしかけた)盛大な殴り合いもありどれも忘れ難いのですが、私が大前均でまず以て思い浮かべるのはマキノ雅弘監督『若き日の次郎長 東海の顔役』(1960年)です。マキノが何度か作る次郎長の続き物で、題名が示す通り売り出し中の次郎長が主人公ですから暗い影は微塵もなくお蝶もぴんぴんして若者たちの溌剌としたいまに溢れています。四部立てでのちには石松にジェリー藤尾、綱五郎に渥美清、最後は北大路欣也を前に押し立ててシリーズは賑やかになっていきますが、私がとりわけ好きなのは一部と二部です。それというのもクレジットこそ大勢に埋もれていますが、役で大前を引き立てようと並みいる東千代之介、田中春男、加賀邦男、平幹二朗に混じって(彼らよりも古馴染みに)主役の錦之助とそれこそ臍で繋がっているような近しさを滲ませてそれが何とも心地よい風となって劇に吹き渡っています。(先述の通り出会うなり会社員だった大前を京都に引っ張ってきた錦之助にしてもデビュー作になる本作ではぐっと手許に引き寄せて船出を助けてやるつもりでしょうしね。)画面に初めてお目見えする場面でも店先で差配する大前の脇を通りがてら父の在宅を尋ねる錦之助は「お父いるか」の台詞の前に大前の役名である<相撲常>と一度呼びつけ(役者と役名を観客にさりげなく結びつけ)てやって、無名の役者へのこういう小さな心遣いが観ている者を喜ばせます。作中でも一端船に乗れば錦之助とて容赦なく海の掟を押し通そうとする大前に人情に泣きつかれた錦之助は後へは引けず頭ひとつどころかふたつはある体格差を跳ね返して大立ち回りに捻じ伏せてこれもまた大前には大きな見せ場でしょう。画面の立ち順では錦之助を先頭に数多の後ろに控える大前ですが、錦之助が進み出ると裏からすっと大前も歩を合わせる阿吽が小気味よく本作を彼の記憶に挙げる所以です。ただ残念なのはそんな夢見るような裸の人間の付き合いも三部ではクレジットのままの端役に下げられて... そこをぐっと噛み締めてさてもさても役者人生の始まりです。
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『 こけさんの、なま煮えなま焼けなま齧り 』 五十女こけ