リヨンで見た虹―映画をひっさげてきた男 稲畑勝太郎・評伝
  作者 : 岡田清治

  出版 : 日刊工業新聞社
  作年 : 1997.05

 

 

岡田清治 リヨンで見た虹―映画をひっさげてきた男 稲畑勝太郎・評伝

 

本書評伝の主である稲畑勝太郎を改めて意識させられたのはこれも畑違いの本でして『花街と芸妓』(松田有紀子 誠文堂新光社 2020.2)、京都、東京から全国の花街へと見霽かす一冊ですがぼんぼりに陶然と揺らめく左褄と仇な恋路を為したわけではありません。本書でも語られる通り彼は第一に染物そして織物の化学者であり実業家であって子供の頃からの俊英にして十一歳で明治天皇を前に『日本外史』を朗誦する栄誉に浴します。このとき褒美に下賜されたのはコンパスでして(時代も下って学習院の成績優秀者に昭和天皇から銀時計を賜る平岡公威少年のはるかな先達であって明治5年のこと)、同じく竜顔を拝したお友だちが横田君です。ほどなく師範学校に進むと時代のうねりには案外先取の気質を発揮する京都ならでは(何せお上に先立って西欧の先端技術の習得に私費で人材を派遣したのも西陣で)府が一切の費用を請け負ってフランスへの技術留学を選考する秀才にもこれまた稲畑の名が上がります(おやおや、やはり横田君のお名前も... )。青年というにはまだ年端もいかない明治の子供がこれからの国作りに必要な自前の技術をまさに身を以て体得するために果敢に海を渡ってくれたお陰で(勿論そんな異国の地で国の期待を一身に背負ったまま十数年の命を燃え尽きさせ或いは帰国の船もろとも海底に沈んだ幾多の無念に手を合わせつつ)殖産興業も相成るわけです。さてフランスに到着した一行は一年間の語学学習を終えるとそれぞれ志す技術習得の地に旅立っていって染色を学ぶ稲畑が入学しますのがラ・マルチニエール工業学校、そこでも優秀なお友だちに巡り合ってオーギュスト君です。先述した通り稲畑の生涯は化学者であり実業家でありのちはいよいよ貴族院議員ともなって勃興する時代にふさわしくなかなかに重量感のある獅子奮迅を生きたまさしく実業の一生ですが、そんな彼が映画などという浮かんでは消える幻燈に(一年ほどとは言え)どっぷり関わって映画史の揺籃をあやしてみせるんですから数奇なものです。この日付、1896年の稲畑を弥次郎兵衛に両手に彼のふたりのお友だち、横田君とオーギュスト君がぶら下がることで日本にカツドウの産声が上がります。その年稲畑はモスリンの技術移転のために三度目の渡欧をしますが、フランスで旧友のオーギュスト君を訪ねる彼の前には家業と聞いていた写真館からは大きく見違える工場の威容が広がります。この前年オーギュスト君はいよいよ積年の発明を実らせて(ミシンの送り機構をヒントにフィルムを正確に繰り出し続けることに成功すると)ここにシネマトグラフを完成させていたのです。そう、私たちが<リュミエール兄弟>と呼んでいるその兄こそオーギュスト君、そして稲畑の目の前に広がる工場がいまやシネマトグラフを世界へ向けて送り出そうと聳え立つリュミエール社です。稲畑の来訪が新聞でその完成を喜んだシネマトグラフにあったことは間違いありません、その意味で彼には映画がビジネスになるという目論見があったわけで事実このときオーギュストとシネマトグラフの代理人契約を行います。翌年機械と技師そして10本の小映画を携えて帰国するや上映会を開いた大阪、京都、東京と連日の大入りです。しかるに稲畑はこの成功を尻目に映画興行から手を引きます、のちに彼の語るところでは大入りであっても採算が厳しいということですが、確かに映写用のランプひとつとっても電力黎明期の日本ではまったくの手探りで可燃フィルムは簡単に火がついてまかり間違えば詰めかけた観客が犇めく小屋で火事を出すという悪夢が振り払えません、物珍しさに客も押せや押せや小屋に向かい合う商店を押し潰すなんて騒動はざらなこと、加えて売上の6割をリュミエール社が取る歩合も興行の旨味を大きく削ぎます、そして言わずもがな興行の縄張りには煩い仕切りやしきたりが前にも後ろにもあるんですから本業の片手間に手を出す商売ではないでしょう。ここはそれにふさわしい人物に譲るべきで稲畑に浮かんだのが横田君、この場合同級生の横田万寿之助よりもその弟の永之助に手腕があって見事興行をやり切ると彼が立ち上げるのが横田商会、日本のカツドウに鎬を削ってやがて(競い合いもこれ以上になると弊害と)各社談合で生まれるのが日活なわけですから、稲畑がもたらしたものははるかに芽吹いていまや大輪が苦しそうに揺れています。

 

 

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稲畑勝太郎

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リュミエール兄弟

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