丸根賛太郎 狐が呉れた赤ん坊 見明凡太郎

 

山本富士子の<ミス日本>に大いに発奮してということでしょうが翌年の1951年には<ミスターニッポンコンテスト>も開催されていまにも続く週刊誌にスポーツ紙、映画会社にタレント事務所、遊園地、挙句の果ては最高学府においてまで引きも切らない美男美女のコンテストです。そのミスターニッポンの肩書で大映に入社してくるのが品川隆二でして...  元を正せば日本最古参の日活に海千山千の永田ラッパ、旧友の川口松太郎が一家で喰い込んでいるそんな伏魔殿に小僧が小さな肩書ひとつで放り込まれていまそのときを思い出す品川の口ぶりも自ずと捨鉢なものになります(品川隆二『品川隆二と近衛十四郎 近衛十四郎と品川隆二』ワイズ出版 2007.4)。芸名ひとつ取っても始まりは川口浩、彼の成功にすっかり気をよくした会社が験を担いで京浜東北線の駅名をつけていくことを思い立ち、<品川>隆二、<川崎>敬三、<鶴見>丈二とまさに<煙は空をこがすまで>の驀進です。(この辺りはまあどこも一緒でデビュー当時面差しが嵯峨美智子に似ているからと嵯峨嵐山の次の駅名を付けられて<花園>ひろみになったと言いますものね。)しかし品川青年の苦難はまさにここから、当時の大映現代劇には先の川口の他にも船越英二、菅原謙次、根上淳と若手二枚目には事欠かずあえなく大部屋に蹴り込まれるとそこに待ち受けるのが映画をカツドウと言った時分から叩き上げたいぶし銀の牢名主たち、いまも震える品川の唇から漏れる名前が見明凡太郎に潮万太郎、退屈しのぎに新参者を甚振って遊ぶわけです、その怖いこと怖いこと。潮万太郎なんて名前からして渦を巻いているようでいつもふてぶてしくも小狡い役どころですが案外年齢不詳な中年の上がりっ端を得意にしてねっとりと睨めつけます。(小津が大映で撮った『浮草』では旅一座の中堅三人のひとりで田舎廻りの楽しみに昼間から酌婦の膝に入り浸って乙な年増の桜むつ子は三井弘次に取られ人三化七の賀原夏子を押しつけられて噎せ返る潮万太郎です。)さてあとひと方の名主こそ見明凡太郎、今回のお話の主であります。

 

 

 

死者を累々と重なる決死の一戦もわれに武運なくあえかに戦場の塵に消えたと殿である月形龍之介の許には市川右太衛門の最期が伝えられます。音に聞く荒武者を失ってもやはどうにも負け戦の侘しい波に足許が攫われるとせめてもの手向けに自ら髻を切り落とす月形です。しかるに陣中が喪に静まり返るなか当の右太衛門が現れて勿論無傷であるはずはなく手負いにいざるのがやっとの体ながらざんばらの殿を見て破顔一笑、<戦に負けるたびに髻を切っていたら髪が生える暇がござりませんぞ>。挙句に敵が勝ちに奢る今宵こそ千載一遇の好機と殿が止めるのも聞かず子飼いの郎党を率いて駆け出すともはや月形もその勇猛に乗るしかありません。松田定次監督『乞食大将』(大映 1945年)の始まりです。この兄弟とも覚しき月形と右太衛門の主従の絆も敵の大将の処遇を巡ってこじれやがて紐解かれると主君なしの一介の流浪の身となって(それが題名の意味するところですが)そうなってもわが身を捨てて右太衛門に付き従う家来たちとの悲喜こもごもがお話の中核です。その右太衛門を栄華のもはや熾火となった大坂方に招く仲立ちをするのが見明凡太郎で右太衛門の生きざまを磊落に呑み込む御坊です。或いはここを死に際と定めた右太衛門の心さえ見透かして武家の一生に心で瞑目します。大きなひとではありませんがあの、濁流がもんどり打つような低音で乱世に生き意地を通す最後の花に寄せてやがて一輪挿しにそれと咲かせる見せ場へと右太衛門を押し出します。この同じ敗戦の年に見明凡太郎は阪妻とも共演です、丸根賛太郎監督『狐の呉れた赤ん坊』。狐が化かすというお宮へ肝試しに出る阪妻ですが生来の負けん気でてんでに狐をやり込めるとそこにいるのは小さな赤ん坊、狐のやつ降参して可愛い姿に化けやがったとためつすがめつ待てど暮らせど赤ん坊を見つめて狐に返る様子がありません。おいおいこれはほんとに人間の赤ん坊じゃないかと周囲が訝り出すと当然荒くれ者の阪妻に子育てなんかは無理と決めつけられるのが癪で渡し人足の男所帯でせっせと赤ん坊をあやします。この父子の成長に折々難儀が沸き起こってそのたびに駆け込まれるのが見明で因業で鳴らす質屋の主人にして<質々始終苦>と大書して掲げておりますよ、しかるに困っているものを見捨ててはおけず苦虫を潰しながらも世話焼きで... この偽物の親子がやがて本物の親子となりいまや本物すら越えて肌身を裂く別れを前に子供可愛さとその子の将来を思ってわが身にむしゃぶりついて苦しむ阪妻にここでも見明の大喝が迷える肚を決めさせてあの晴れ晴れとした結末へと澄み渡ります。劇中でずっと<とっつぁん>と呼ばれていますが阪妻よりぐっと若くて三十代の見明凡太郎です。

 

 

 

長い映画人生は実録風のやくざ映画までその道を伸ばして(『組織暴力』『広域暴力団 流血の縄張』)老け役がやっと実年齢に収まった枯淡な佇まいも捨て難いところですが、私の映画の記憶に見明凡太郎の名前を刻んだこの一本を挙げて話を締めくくると致しましょう。市川崑監督『破戒』(大映 1962年)は言わずもがな部落差別を正面に見据えると宮川一夫の容赦ないモノクロームに画面を沈めて重くやがてその雲間を割って彼方に日の差すところを目指していくそんな映画です。(芥川也寸志の荘厳な弦楽曲が随所に奏でられて野村芳太郎監督『砂の器』はこの辺りが源流かとも思わされますが... )。主人公の、というよりも彼に先立って自らの出自を打ち明けた三国連太郎の果敢な生きざまを主人公は反射しながら徐々に自分の不実に追い詰められしかし(自分の生まれがどうあるかなど本来)不実でも何でもないはずのものが不実になるこの世の不条理に苦しみます。彼の父が生まれついた故郷を捨てたのも息子に被さる出自を拭い去るためでしかし顔を知られた自分がいつまでも親を名乗ってはやがて息子にもその累を及ぼすと彼を弟夫婦の子供に仕立てると自分は息子の前に二度と姿を晒さぬ覚悟で信州の切り立つ山間に隠れ住みます。しかし手荒い牛の角に串刺しにされて野ざらしに三日放り置かれた挙句いまは仏となってあばら屋に横たえられます。ひとの親にあって名も明かせず余命を一歩一歩踏み潰すように山中を渡り歩いてはぐれた牛を呼ぶそのときの谷間の叫びを同じ部落の民である見明凡太郎がその無念と吹き荒ぶ寂しさを山を揺する胴間声で獅子吼ります、<だどもあの声は天に向かって叫んでいたよ、心の丈を叫んでいたよ>。見明の声に奮い立つように冷え切った男の体からあのときの叫び声が山を切り裂いて私たちの胸に谺します、どこまでも続く遠い呼び声、会うことの許されない息子へせめて自分が生きていることを届かせようと声の限りに叫んでは世の無明に掻き消される無念の慟哭。

 

 

 

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