下郎の首
  監督 : 伊藤大輔

  製作 : 新東宝
  作年 : 1955年
  出演 : 田崎 潤 / 嵯峨三智子 / 片山明彦 / 小沢 栄 / 三井弘次 / 岡 譲司

 

 

伊藤大輔 下郎の首 田崎潤


ほんと間が悪いの言葉に尽きます。田崎潤を主演に伊藤大輔監督の国定忠治がいよいよ撮影という段になって新国劇が同作の映画化を打ち出します。向こうは正真正銘のお家芸、ぶつけて分の悪い戦いに製作の気運は引いてしまいそれでも勇み立つ田崎を伊藤は宥めて、いまは引け、他日これを上廻るシャシンで必ず呼んでやる。ぐっと唇を噛んであとは伊藤を信じて時を待ち... そうして田崎の許に届けられた台本が本作なんですから読み進めるうち抑えても震えてくる田崎の胴震いが伝わってくるようです。それにしても西岡善信が舌を巻く(山口猛『映画美術とは何か』平凡社 2000.02)伊藤大輔の歴史への旺盛な知識は(亡くなって書庫は稀覯本に埋め尽くされその万巻の目録を作るのさえ半年に及んだという)堅実なもので本作においてもやがて故国を遠くいつ果てるともない先の細った旅路にあっていまや辻芸人の集落に身を落とす主人公たちです。彼らを囲む芸人のひとりひとりは重い障害を抱えて三味線弾きの老婆は紙の鼻当てをしているところからしても梅毒の後遺症でしょうか(その病に辻を生きる女に伸し掛かる夜の重さも匂わせて... )。孫娘に歌わせていますが手を引かれる彼女は目が見えません。はしっこく銭のなる話を嗅ぎ廻っている三井弘次は下駄を両手に路上を正座でいざっています。橋下の掘っ立て小屋に住まいながら彼らを束ねるのはおそらく非人頭であぶれ者のないように稼いだ金を皆に行き渡せては肩を寄せるその身の上を助け合います。なかなか差し障りのある領域ですが(日常がささいに踏み外される例えば雨に降り込められて軒に雨宿りがひきしめくようなとき一緒にあって身の毛を逆立てるような町の衆の仕草に芸人たちが日頃無言で被るものの重さを垣間見せて)声高にではなくその時代を生きる実相を物語に映す伊藤の目に改めて感じ入ります。さて物語を開きますとそこは陽光うららかな(見かけは)太平楽な江戸の治世、山深い湯治宿には持病の保養もどこへやら気のおけない毎日にすっかり碁に熱を上げる大殿さまです。いまも旅の浪人を相手に打てば互いに好きな道とあっては引くに引けない対局を三日に渡って続けています。まあその間は若さまも骨休めで伴に奴の田崎潤を連れてゆるりと川瀬に釣り糸を垂れます。しかるに驚天動地、渓谷を切り裂いて大殿斬らるるの報せが響き渡ります。聞けば碁の待った待たぬがこじれて挙句の果ての刃傷沙汰、向こうは指を斬り落とされながら早くも蓄電して行く方は知れず。すぐに若さまと奴が仇討ちの追手に立ちますが宿に居合わせただけの間柄であればわずかな手掛かりにあとは雲を掴むような旅の月日はあっという間に過ぎていきます。やがて路銀も底をつき(しかし本懐までは帰るに帰れぬ身であれば)ふたりしていまや辻芸人に身を寄せて日銭で糊口をしのぐ日々です。そんな降り込められた雨の軒下で立ち竦む奴を見かねた向かいの女が何気に声を掛けたことから誰の手からも逃げおおせたはずの仇討ちが(運命をふたつに重ねてそして四つに切るように)この奴の手に乗せられます。

 

 

 

 

伊藤大輔 下郎の首 小沢栄 高田稔

 

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