「 大波の、小波に足をさらわれて:英雄と金魚 」 の続きです。

 

 

俳優が台詞を喋るというこのトーキーの苦難をまず最初に脳裏に過らせるのはハリウッドの外国人俳優たちです。サイレント映画であることをいいことに英語なんぞ喋れなくとも画面に堂々と立ちはだかって口をパクパクさせていたひとたちにとって改めて流暢に英語を喋らねばならないということが突きつけられます。そんな外国人俳優のなかで私たちに馴染み深いのが上山草人です。ラオール・ウォルシュ監督『バグダッドの盗賊』(1924年)でダグラス・フェアバンクスの恋敵であるモンゴル王子を演じたのをきっかけに上山はハリウッドで地歩を固めますがそれとてそもそも端役であったのを王子役の俳優が解雇されたときに上山の奥さんが巧みに交渉したお陰で得た役です。そうです、上山自身は英語が苦手。彼の逡巡に追い打ちを掛けたのが大恐慌で不況ともなれば少数民族への締めつけが強めることを見越して上山は日本への帰国を決意します。ハリウッドのスターが凱旋してくるわけですから盛大な歓迎のうちに松竹入社、入社第一作というか帰国第一作は島津保次郎監督『愛よ人類と共にあれ』(1931年)で松竹オールスター、前後編の大作です。財閥の頂点にあってひとり精力的に切り盛りする働き盛りの家父長ですがやがて子飼いに足を掬われて会社を乗っ取られ改めてひとの幸せ、人生の形を問い直す物語です。ただこれでわかる通り上山は実はこのとき御年47歳、日本でスターを張り続けるにはかなり不安な年齢なのです、しかも上山は美男にあらず。『愛よ人類と共にあれ』の二部ではアメリカの牧場にところを移してかの地の素朴な生活に改めて生きる気概を見出す上山の姿が描かれて実際アメリカでロケーションを行います。実はこのとき上山はハリウッドの出演依頼も受けていてトーキーのハリウッドでやっていく可能性を探っています。(三田照子『上山草人とその妻山川浦路 ハリウッドの怪優』日本図書刊行会 1996.12)しかしやはり乗り越え難く断念すると以降アメリカの地をふたたび踏むことはありません。英語の克服と年齢の克服では年齢に賭けたわけですが、その後の上山草人は...  伊丹万作監督『赤西蠣太』(千恵蔵プロダクション 1936年)では端役にも拘わらず名前の小ささに千恵蔵を訴えて気を吐きます。戦後の、『お笑ひ週間 笑ふ宝船』(川島雄三監督 松竹 1946年)というスターの顔見世映画でも佐野周二と並んで松竹トップの立ち位置で微笑んでいますがこれとて戦地から或いは戦災に暮らしを追われる面々がやがて帰ってくるまでの話で要するに『愛よ人類と共にあれ』から程なく日本での人気は急速になくなっていきます。

 

 


ところで第1回のアカデミー賞をご存知でしょうか、主演女優賞がジャネット・ゲイナー、そして主演男優賞はエミール・ヤニングスです。そうです、F.W.ムルナウ監督『最後の人』(ドイツ 1924年)でホテルのドアマンであるその荘重な制服に威厳をたなびかせて近所でも尊敬を一身に浴びてきた男がトイレ係に転属させられることで精神に変調をきたすあの彼です。このときハリウッドにいたんですよ、しかるに彼もドイツ人。トーキーになれば自分の居場所はないと早々に見切りをつけて(まあ彼は本国で実績もなく渡米した上山と違ってドイツで高い評価を持っていますから肚が決まれば帰国にためらいもないわけで)しかもそれは大恐慌の少し前、当然株だの不動産だの預金だのをすべて精算して(狂乱株価の最高値で売り逃げて)ほくほくで帰国です。やがて政権を奪取する(というか国を簒奪する)ナチスドイツでは帝国随一の俳優として押し頂かれまさに我が世の春。まあこのまま行っていれば勝ちに勝って勝ちまくった常春の映画人生だったわけですが、肝心のお国の方が完膚なきまでに負けて挙句に戦犯追求。これらナチスに寵愛された俳優たちがどれほどの優遇をゲッベルスから得ていたかには端的に数字があって戦中に2本の映画しか出演していないヤニングスには数十万マルクというギャランティが支払われます、撮影所の職員が月給700マルクの時代に(フェーリクス・メラー『映画大臣』白水社 2009.6) 。残されたゲッベルスのメモには(落っこちそうなのを必死で踏ん張っている国の、傾斜した戦況にあって)これほどの厚遇に狂乱の出演料にも飽き足らず俳優たちが更なる利得を要求しているさまが残されていて... 失意に閉じ込められたエミール・ヤニングスの晩年はさながら『最後の人』の、地下半階のトイレの閉塞に身悶えする彼の姿を思い起こさせますよ。

 

 

 

 

トーキーの大波は当然自国の俳優たちにも襲い掛かります。お国訛りに悪声、セリフ覚えの悪さに滑舌、発声、大きく変わった芝居... 英語が喋れるからとて油断はできません。ケネス・アンガー『ハリウッド・バビロン 1』(リブロポート 1989.3)から見繕ってトーキーに押し潰された俳優たちを拾っていくとそのなかにはラモン・ノヴァロやノーマ・タルマッジ、チャールズ・ファレル、ルイーズ・ブルックス、メイ・マレーのようなよく知られた名前があります。マリー・プレヴォーはエルンスト・ルビッチ監督『結婚哲学』(アメリカ 1924年)に主演するスターでありながらやはりトーキーに揉みくちゃにされ頽廃して1937年に最後のひと息を絞り出して亡くなります。そして私がこの長い前置きを書いてきた今回のお話の主人公、ジョン・ギルバートもまたスターの片鱗もない床に這いつくばるような酒浸りの末年を1936年に閉じます。サイレント時代には華やかで女泣かせの(そして男たちの鼻先を颯爽と駆け抜けるような)男振りでグレタ・ガルボの相手役だった彼も(皮肉にもスウェーデン訛りのつっかえつっかえのガルボがトーキーで更なるスターとなっていくのにアメリカ人の彼が英語を喋ることに躓いて)トーキーの大波を乗り越えられなかったひとりです。トーキーになるやファンが離反し(撮影所の門の前で自分が通るのを阿鼻叫喚で見送るファンがいなくなり、世界中から日に何万通も届いたファンレターがなくなり、声をかけてくるプロデューサーがいなくなり、プレミアム上映も呼ばれなくなって、パーティも乱痴気騒ぎも遠くなり、ラジオで名前が口にされることもなく、いくら探しても映画雑誌に自分の名前がなくなって突然自分の周囲がどこまで見廻しても無音になり何をしても静まり返ってまさにサイレントに閉じ込められ)たジョン・ギルバートは一般に彼のキーキーと甲高い声にファンが失望したからとされています。では実際見てみましょう、ルーベン・マムーリアン監督『クリスチナ女王』(アメリカ 1933年)です。ヒロインであるガルボは父である王が戦死したため童女で戴冠した女王でありいまや明け暮れる戦乱に終わりを告げて民衆の暮らしとヨーロッパの文化を再建すべく困難な和平を推進する賢王へと成長します。そこに使者として遣わされるのがギルバードでしてガルボが身分を偽ってふたりは恋に落ちやがて将来を誓った相手が女王であることを知るわけです。サイレント時代のままの(当たり前ですが)目に笑みも決意も強がりも浮かべる親しみのある二枚目で声も顔に似合った柔らかい響きに時折爽やかな高まりがあってそれをキーキー声とは悪意に過ぎます。ただ逆に気づくのはギルバートが人気を失うことになる或いは別の理由でそれはトーキーというよりも寧ろ大恐慌以降ということですが、そのときに人気を得ていく二枚目はゲーリー・クーパー、クラーク・ゲーブル、ケーリー・グラント、ジェームズ・キャグニー、ジョン・ウェイン...  彼らは一様に頑強な肉体を翻して男の存在をその肉体で迫ってくる男たちです。強く、怯まず、女性を腰から掻き寄せ或いは頬を張り飛ばして、常軌を破ることも辞さない(ちょうどキャグニーが自分の役者として佇まいを表して言った"roughneck"な)力強さです。まさに巷に塵芥の吹き荒ぶ恐慌に立ち向かうスターです。しかるにジョン・ギルバートは...  実際は北欧女性の、がっしりと骨格の張った<大女>の体格であるガルボと並ぶと彼女よりずっと細い柳腰で優美ではありますが書き流したような一筆書きの頼りなさです。この佇まいが優雅さであり女性に物腰で迫る紳士の奥ゆかしさでもあったのでしょうが、いまや女性もまたシャンパンの燦めく泡の向こうに男性を見つめる時代ではなくなったということでしょう。トーキーの大波に押し流されたと思っていたギルバートは案外女性の、見えざる嗜好の移り行きに足を掬われたのではないかというのが私の見るところです。

 

 

 

 

 

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ルーベン・マムーリアン クリスチナ女王 グレタ・ガルボ

 

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