パリはわれらのもの
  監督 : ジャック・リヴェット
  製作 : フランス

  作年 : 1958年
  出演 : ベティ・シュナイダー / ジャンニ・エスポジート / フランソワーズ・プレヴォー

 

 

たまにはヌーヴェルヴァーグの一作に軽いうたた寝を味わってみるのも乙なものでしょう、だって<パリはわれらのもの>と題された映画の、その口あけに掲げられた詩の一節が<パリは誰のものでもない>なんですから、この先もひと筋縄で行くわけはありません。楽になるためには<誰かに話すか死ぬか>なんて際どい選択を迫られるヒロインに比べたら観客にはうたた寝という絶好の避難場所があるんですからいつでも目を瞑ればいいわけです。しかし目を瞑ること即ち死ぬこと、となりますとそれは厄介です、私たちもヒロインと同じ選択に立たされます、誰かに、は、は、話さないと... 。物語が退屈というのではありません、ただ退屈に似ています。スライドのように横へ横へと繰っていくばかりで手を浸すほどの深さもなく俯瞰することも理解することもできないからです。だって理解してしまうこと、納得してしまうことはそれをそのように見せかけている敵の見えざる策略かもしれないんですから。理解しようとせずただ現れるにまかせながら自分のわずかな確信を前へ蹴り出すことです。そもそもの始まりはスペインからやってきたギター奏者が自殺したことで仲間たちが大きな喪失に陥っています。しかしそのことについて彼が始まりなのではなく実はその前にもその前にもいや限りないほど連なりを遡って不可解な死が繋がっているのだとヒロインの隣人は不気味な予言を行います。一笑に付されたそんな予言もしかし隣人はいつの間にか吹き消されたように音もなくいなくなります。そんな見えざる陰謀、平穏に見える現代のその透明な水面下でまるで水面にこの世界を映じながら一枚向こうには別の世界が広がっているなんて(なんと映画に似ていることでしょう)! 嘘かも知れません、しかしそれは敵がそのように思わせているのかも知れない... 本当かも知れません、しかしそれは自分が自分に陥った妄想かも知れない... 敵は世界的な組織であり最高度に計画的で巧妙であり最新の科学、心理学(だの何だの)に通じていて凡百の映画のようにヒロインにわずかな痕跡を手繰り寄せられて結局組織全体が釣り上げられるなんてへまなことはしません。現れるのはひとびとの口にのぼる終わりのない言葉だけで痕跡も確証もなく調べれば調べるほどそれがないというところに行き着いてこそ本当の陰謀です、本当の恐怖です。しかし恐怖とは何と退屈に似ていることでしょう。

 

 

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ジャック・リベット パリはわれらのもの ベティ・シュナイダー

 

 

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