こじろうのフォトダイアリー -10ページ目

桜と木蓮

寒めの週末。桜はほんとにちらほら。今年はかなり遅い。
ところどころにだけ、咲いた枝がある。
この個体差はどこから来るのだろうか。


EF50mmF1.8
桜はすぐに散るから、花びらが汚れないのだろう。なので散り際が美しく、はかない。

EF50mmF1.8
木蓮はすっかり開いている。
木蓮の花は、大きくて、長い時間咲いている。なのでどうしてもはなびらが欠けたり汚れたりしてしまう。このはなかさはまた別の種類のはかなさ。

四十雀

画像のアップが若干面倒になった。というか前から面倒だったんだけど、質が変わった。 D&Dで画像がリサイズできるのはいいけど、縦横比一定でできないし。なによりオリジナルサイズでママ貼り付けたいんですけど・・ 現在のペースでいくと、秋頃にはディスクがいっぱいになってしまう。そんときは、別のブログに引っ越すしか今のところ選択肢がないのも悲しい。
EF300mmF2.8IS

四十雀。
ほほが白いので「ホオジロ」と当たりをつけて鳥図鑑を調べたが、全然はずれw
鳥の名前、もっと覚えたいな~
日比谷公園にて

帰省~奈良の風景

所用で奈良の実家に。
春の奈良盆地は、ぼんやりとした空気の中に静かに次の季節の予感が満ちていた。


EF50mmF1.8

土壁の物置。
田んぼの中にある用具置き場も、古くからあるものは土壁の造りである。
2000年近く営まれてきた生活の歴史を感じる。
土壁は究極のリサイクル。土に還るも何も、もともと土ですから。


EF135mmF2

道ばたの地蔵さん。
現代ではお地蔵さんは無人貸出機になってしまったが、ここではまだ本来の姿。
この赤い布のメンテナンスは誰がするのだろう。

ちいさく生まれて、ちいさく死ぬ

植物の特徴。
生と死が混在している。
桜の樹の下で、人の心がざわめくのは、そのせい。


Tamron90mmDi

春の日比谷公園の中にあった、前の冬の残りの部分。
次の週、同じ場所に行くと、丸坊主になっていた。
花は実となり、綿毛とともに風に舞う。



Tamron90mmDi

同じく椿。
ぽとりと落ちた花はやがて朽ちて土に還る。

節目

福岡で大きな地震があったが、最近個人的な節目で大きな地震が起きる。10月の新潟、12月のインドネシア、3月の福岡。次は・・とちょっと気になる。節目も、地震も。

今日は所用で区役所。住民票と届用紙を確保。

最近いろんな意味で疲弊している。様々な変化(いいこと、わるいこと、意図したこと、意図しないこと、できること、できないこと)に自分をaduptできていないせいだが、実は最大の恐怖が一つある。

自分からすべてのしがらみを取り除いたとき、何が残るか?何か残るか?実は何も残らないのではないか?



EF50mmF1.8
春を待つ枯れ木。

何も持たない、何者でもない、裸の自分。それは原点であり、終点でもある。
自分の今ある場所が、原点でなく終点になっているかもしれない・・そんな恐怖。命を与えられながら、その命から何もわき出さなくなるのではないかという恐怖感。
この恐怖を解決してくれるものは、世界において自分しかいない。

恐怖を解決し、しがらみを解きほぐす。
そして新たな原点に行く、還る。
今年の課題です。