第140回公演『サカシマ』再演 Re:カウントダウン | こじにずむ日記

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千葉大学演劇部 劇団個人主義のブログです
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こんにちは。あるいは初めまして。

劇団個人主義の千鳥みゆきと申します。

最近はあったかくなってきましたね。もうすぐそばまで夏が近づいてきているような気がします。

冬に着ていたコートのクリーニングも夏服への衣替えも全く追いついておりません。まだ私の部屋の玄関ではもこもこのコート2着が出番を待っています。

今年の夏も暑いんでしょうか。日本の重苦しい暑さは苦手です。夏が一瞬で過ぎ去って、早く秋が来ればいいのにな。そうしたら衣替えもいらない…。そんなことはないですか。

 

 

 

 

 

Re:カウントダウン。

安易なタイトルですかね。許してください。

減っていった数字が、また戻ってきました。普段はありえないかもしれない。でもこの作品にかかわる私たちが生きる世界は「サカシマ」だからいいのです。そう言い聞かせる。

まさかこんな短期間でブログをもう1本書くことになるとは思ってもおらず、このブログを書き始めた今、全くネタが見つかっておりません。

正直、困ってます。そんな簡単に文章を生み出せる人間ではないもので。

いつも配役が決まったらブログのネタを探し始め、締め切り1週間以上前にはあらかた完成させて、空き時間に言い回しをちょこちょこ変えつつ、心変わりしないように締め切り前日までに担当者の人にお渡しするのですが、今回ばかりは、もう締め切り当日に頑張って投げることになりそうです。そして当日の夜、羽田行きの飛行機を待ちながら、今私は必死に推敲しています。やっぱり当日にならないと送れない、マインドがKAT-TUNな人間です。

皆さんに読んでいただくような文章にはならないかもしれません…。もっとしっかりした文章を書きたいという気持ちはあるよ!!ということだけお伝えしておきます。

前回も今回も、私は役者の中で早めに更新されているのですが、前回の後輩たちのブログを読んで、みんなの文章良すぎるな!?と感銘を受けておりました。みんな偉いよ。ちゃんと作品の内容や役柄に触れつつ長い文章を書いていて。ある後輩のブログを読んで思わず個チャで連絡してしまった。それくらい良かったです。

同期たちの文章も良かったですね。それぞれ思っていることはあっても言葉にする機会ってなかなかないですよね。ブログはそういった意味でいい機会になるのではないでしょうか。

私はブログが好きです。言葉にできない思いを一度整理できる場として捉えています。面と向かって言えないこと、面と向かって言うほどでもないことを言える場でもある気がしている。だから好きです。みんなのそういう思いに触れることができるのも好きです。みんながひいひい言いながらブログを書いているのも知っているし、文章を生み出すことの大変さも分かっています。ブログ苦手なんだよな~と同期が漏らしているのも何度も聞きました。でも、私はこのブログがいつまでも続いていくといいなぁと思います。もちろん、この文章が作品を観に来てくださる誰かに届くことが一番ですが。こちら側としても、何か利点があると思えば書きやすくなんじゃないでしょうかね。

 

 

 

 

 

さて、今回は少しラフな話をしましょう。いつもここでは病んでいる話ばかりな気がしますので、少しは軽い話でも。軽い気持ちで読んでください。重苦しいものにするつもりはない。重いのは作品だけで十分です。

私自身の話です。ちょっとした昔ばなし。個人主義に入ってから役者としてのブログは再演前のブログを含めて5回目です。こんなにブログを書いてきたけれど、私自身の話って実はそんなにしていないのです。「千鳥みゆき」ではない、本名の私。

私は4月に生まれました。でも、もともとの予定日は5月下旬でした。予定日より1か月以上早く生まれました。

今、同期(同い年)の中では一番に年を重ねるのですが、予定日通りに生まれていたら2番手でした。…そんなに変わらないって?トップバッターと2番目では大きな差がありますよ。きっと。

しかも、今年から新しい同期が増えました。その子の方が、私より誕生日が早いので、今の時点で私がトップバッターでもない。この話なんで挟んだんだ。まあこのまま残しておきます。

いろいろあって帝王切開で生まれてきました。2000gありませんでした。生まれてから1週間、保育器にいました。

子供が生まれてくるということは、奇跡の連続だと思います。子供ができることが、無事に生まれてくることが「普通」ではないからこそ。今私がほとんど持病も持たず元気に生きているのは奇跡なのかもしれないな、とたまに思います。

今思うとぞっとしますよ、2000gなかったんです。そりゃあそう、予定日より1か月以上早くこの世に出てきたのだから。何が起こってもおかしくなかったですよね。

母の方にもかなり負担をかけていたようです。ちょうどつい最近、法事のために帰省したのですが、その時に妊娠6ヶ月の段階からずっと入院していたという話を聞きました。出血が止まらなかったらしい。その話を聞いてビビっていました。今お互い元気でいられていることが奇跡ですね。そう思っていても、たまに強く当たってしまいます。ちょっとひどいことも言ってしまう。ごめんね。

小さい頃はとにかく体が弱くて、保育園で感染症が流行れば真っ先に感染する子供でした。インフルエンザにかかるのは本格的に流行り出す少し前でしたし、おたふくかぜも水疱瘡も1歳でなりました。我ながら早すぎる。

そんな私でも元気にやってます。アレルギーが少しひどいくらいで済んでいます。こっちに来てからアレルギー性の呼吸困難を起こすことが増えましたが、それもなんとかコントロールできています、たぶん。小さいころ苦しめられていたアトピー性皮膚炎もかなり落ち着きました。昔は土曜日の午前中はよく病院(皮膚科と眼科ばかりですが)に行っていたけれど、年を重ねるにつれて病院に行く回数も減りました。季節の移り変わりでよく風邪をひいていましたが、今では1年に1回くらいになりました。なんとかなるもんですね。

 

 

 

 

 

もう一つ、昔ばなし。

2014年。広島県で土砂災害が起こったことを覚えていますか?

夏頃だったと思う。夏休みで暇をしていた私はそのニュースばかり見ていた。

当時「かぎっ子」だった私は、家に1人でいました。両親は共働きで、日中は家にいません。無音が苦手な私は、家にいる間ずっとテレビをつけていました。

この年の春、祖父を亡くしました。人生で初めて、身近な人の死を経験しました。人はいつか死ぬ。そして、人はいつか燃やされることを知りました。

当時の私は、死ぬことが怖くなりました。いつ起こるか分からない災害。今死ぬかもしれない。1人で死ぬかもしれない。家族とばらばらになるかもしれない。

怖くて、家に1人ではいられなくなりました。母親が帰ってくるまでずっと泣いていました。

学校にいるときはまだ誰かといられるからその恐怖は忘れられました。でも1人の時は怖くて仕方がなかった。

この恐怖は、たぶん今もあります。今は見て見ぬふりをすることができるようになっただけ。

千葉に着てすぐのころは地震の多さに驚きました。一人暮らし初日に震度3の地震を経験しましたから。地元はもともとそんなに地震が多い地域ではありません。今年の元日が久しぶりに大きな地震だったな、という感じ。怖いけど、とりあえず自分を保つことはできます。それくらいまで持っていけるようになった。

……いや、きっと、耐えられるという暗示をかけているだけだ。

バイト中に地震が起こったこともあります。地震が収まって、安全が確認できて、元通りの空気が戻ってきたときが一番ドキドキします。地震が起こったときは、「自分が今何をすべきか?」を考えます。研修で教えてもらったことを思い返して、周りの人たちがどのように行動しているかを見て同じように行動します。これは地震の時以外でもそうです。例えば、急病人が出たときも。

そういう時、とりあえず、自分の心は後回しにします。私ではなく、お客さんのことが第一になります。終わってから、自分が戻ってきたときに、私は自分を保つために必死になります。なかなか落ち着かない心を見せないよう、嘘の笑顔を張り付けて、できる限り明るくふるまいます。そうやって生きてきました。そうやることでしか、自分の心の不安定さを隠すことができません。きっとこれからもそうやって生きていきます。大丈夫じゃないときに大丈夫じゃないと言えない人間です。よく注意されます。最近少しずつ同期には言えるようになってきたので許してほしい。個人主義に入ってすぐのころは、同期にすら弱みを握られたくなくて、みんなの前で泣くことすらできなかったので。

 

 

 

 

 

さて、ここまでの話。

いったい何が言いたいのか?という感じですよね。

皆さんからするとたぶん「知らんがな」という感じだと思います。

この2つの点。今回の物語に出てくる2人の登場人物と共通しているのです。

今回の作品を観たら、ああ、あの人が言っていたのはこういうことか、と思うかもしれません。作品を観ていると、自分に近い登場人物が出てくることってありますよね。性格が近い、だとか、近しい経験をしている、だとか。今回の『サカシマ』を観て、皆さんが誰と近いと思うのか、気になります。もし個人主義に入ったらこっそり教えてください。

初めて『サカシマ』を読んだのは、1月4日でした。日付までしっかり覚えているのは、今年のお正月に地震や飛行機の事故で精神的に疲れた帰省の帰り、新幹線の中で釘付けになったからです。行きに乗る予定だった飛行機は地震で飛ばず、帰りに乗る予定だった飛行機は火災による滑走路封鎖の影響で飛びませんでした。正月から私の脳は大パニックでした。

つらかった。自分の住んでいた地域に津波警報が出ていたから。

元日からバイトに行って、さあ今から帰るぞ、と羽田空港行きのバスに乗っている途中で地震が起きました。両親と連絡を取り続けました。怖くて、バスの中では生きた心地がしませんでした。私が降り立つ予定だった空港は避難所として開設されて、飛行機が飛ばないことはバスが羽田空港に着く前から分かっていました。でもバスは無情にも羽田空港へと向かう。どうしたらいいのか分からないまま、とにかく空港へ行きました。

その日は結局自宅に戻り、翌日新幹線で無理やり帰省しました。こっちにいても不安になるだけだと思っていたので、津波注意報の解除を見届けてから帰ることを決めました。余震は何度か感じましたが、なんとか楽しく過ごすことができました。「日常」を奪われてしまった人がいる中で、私は「日常」を得ることができました。完全に休まるような瞬間はなくても、1人でいるよりも安心して生きることができていました。

 

 

これは1月4日の日本海の写真です。米原駅までの道中で見た景色です。その数日前、たくさんの人を脅かした存在のようには思えませんよね。私も信じられませんでした。なんだか、元日から起こったことが嘘のように思えました。私が目の当たりにしているきれいで穏やかな海は、あの日、恐怖の存在になり、多くのものを呑み込んだ。私が思い描く波は青色。でも当事者の人たちからすれば、灰色です。

そんな思いも抱えながら、新幹線の中で春公演で上演する台本を探していました。そして『サカシマ』と出会いました。

ああ、今やらなければならない台本だ。そう思いました。

台本探しには個人の嗜好が出ると思っています。この台本を本当に提案していいのか?と、何度も悩みました。私だけがこういう感情を持っているのかもしれない、私の独りよがりかもしれない。何より、初めて読んだ時から「演出は難しそう」という思いがありました。初演出の後輩に任せていいものか?ということももちろん考えました。

でも、結局は、自分の直感を信じました。私にとっても一旦は区切りの公演。やりたい作品を提案しても許されるだろう、と信じました。最後は自分のわがまま。

今、この作品と向き合えていることが本当に嬉しいです。後輩にもこの作品を好きだと言ってもらえて嬉しいです。私が書いたわけではないけれど。この作品を通して、後輩たちがもっと演劇を好きになってくれたら嬉しい。興味のあることを見つけてくれたら嬉しい。この作品に影響を受けて実習先での研究のテーマを決めた私のように。特殊すぎますかね。でも、何か考えるきっかけ、何かやりたいことを見つけるスタート地点になってくれたらいいなと思います。そういう作品に出会えること自体が奇跡です。私はそう思っている。

 

 

 

 

 

今年の3月、成人式のために帰省した時に金沢に1人で行ってきました。金沢は能登半島の地域ほどの被害はありません。それでも町のところどころに地震の被害が見えました。いくら距離的に離れていると言っても、何もなかったわけではない。それでも、変わらないところも、変わっていないように見えるところもたくさんありました。

金沢は、母との思い出がたくさん残る町です。母とのつながり、そしてもういなくなってしまった祖父母とのつながりを感じられた時間でした。平日だったので1人での旅行だったのですが、なんだか1人じゃないような気がしました。また行きたい。祖父母のお墓参りにも行きたいですし。

 

 

 

 

 

そろそろ自分の役について語れと言われそうです。同期も後輩も、みんな少しずつ触れていましたもんね。でも今回はまだ整理ができていないのでやめておきます。もう少し時間をください。本番まであと1週間を切っています。カウントダウンは刻々と進んでいます。それでも、今はまだ私の中でうまく噛み砕けない。私に与えられたアディショナルタイムを使ってもなお、自分の役をどう解釈していいのか分からないのです。

自分の役が自分に似ているような気もするし、似ていないような気もします。自分に似ていないから気持ち悪く感じて嫌いだと思う日もあるし、自分に似ていて嫌いだと思う日もあります。分かりたい、歩み寄りたいとも思います。でも、どうしたって呑み込めない。4月の本番前に掴みかけた欠片を、また手放してしまった。その欠片が戻ってくることはありません。今はとにかく欠片になりそうなものをかき集めています。

母親役です。自分が両親に愛されているという自覚があるからこそ、なんだか気味の悪い感じがします。掴もうとすると、ぐちゃあと潰れるような、気持ち悪さ。今の私が持つ、母親のイメージです。そんな人間にするつもりはなかったのに。路頭に迷っています、一体私はどうしたらいいんだ。

まだ自分のものになっていない感じがあります。もう少し、自分の役と対峙します。考えれば考えるほど見失いそうになります、でも頑張るしかないね。一旦最後だからね。

 

 

 

 

 

またいつも通り長い文章です。ちなみにここを書いている時点で5/16 0:11です。締め切りの3日前には骨組みが出来上がりました。ブログが突然降ってきてから2日くらいでなんとかいい感じにまとめられた。同期にわがまま言って締め切りを1日伸ばしてもらったというのに!?奇跡か。

意外となんとかなるものです。1か月以上早く生まれた私が今健康に生きているように。

一生懸命生きていると、小さな奇跡を見逃してしまいがちだから。私はそんな奇跡にも気づける人間でありたいです。世の中は奇跡にあふれている!…はず。私はそう信じています。そう信じている間は、なんとか生きられるような気もします。

『サカシマ』は強力なパワーを持つ作品です。正のパワーも、負のパワーも。この3か月、そのパワーに振り回されそうになりながら、必死で向き合ってきました。

ぜひその最期を、見届けていただけたら嬉しいです。

 

もう二度と、カウントダウンの数字が増えませんように。次はもう、本当に書くネタがないので。

 

 

以下、公演情報です。

劇団個人主義第140回公演 再演
『サカシマ』
会場:千葉市南部青少年センター
日時:5月26日(日)
開場 11:30
開演 12:00

 

▼来場予約フォームはこちら

(期限:5/25  23:59)

 

配信予約に関しては、また用意が整い次第公式X、Instagram、HPにてご案内いたします。

 

 

 

公演が無事に行われることも、小さな奇跡です。そんな奇跡の積み重ねで、私たちは演劇ができているのかもしれませんね。貴方との出会いも、きっと。