藁にもすがる思い。 | BuzzerBeat 斎藤工宝詞 公式ブログ

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感動映像プロデューサー

BuzzerBeat の

斎藤工宝詞です!






連載シリーズ書かせて

いただきます。





アパレルの洋品部門も

しぼり込みという形で

口コミで 遠方からも

お客様が来て下さるようになり

むしろ安定して経営ができる

ようになってきました。





逆にギフト部門は

年々人手不足。

ありがとうとおめでとうを

カタチにするものがギフトなので





商品を売るだけでなく

礼儀や風習、しきたりなど

アドバイスできないと

信用がいただけないため

新人パートさんが入社して

すぐできる仕事でもありません。






人を育てるよりも

「自分でやった方が早い」 と

人材を育成するより

自分でやっちゃえ!的な

毎日が過ぎどんどん

仕事が増えていきました。^_^;





中元、歳暮の時期は

パソコンでの打ち込みが

てんこ盛りになり





夜は12時過ぎ

朝は4時起きで

データを打たないと

お客様の希望納期に

間に合わないため

シーズン中はずっと

こんな生活が続きました。





でも、母からは

信頼を得られますし

当時店長の私としては

【自分しかできない仕事】 が増え

誇らしく感じていたのです。





そして、だんだん私も

夢がふくらんできて

釣りでよみがえってきた

まちがってる競争心の

矛先が仕事に向けられてきます。






「まずは 埼玉県で

 一番を取りたい…。」





当時、埼玉は店舗数も多く

レベルが高いと言われてました。

フランチャイズ本部のすすめもあり

私も2号店の出店を考え始めます。





ずっとあたためてきた

K市という地域で

車で30分なのですが

チラシの反響がいい地域。





中元、歳暮が終わると

ようやく物件が見つかり

本部に申請に行った時






「その地域はもうできません。」

と本部に告げられます。

????????????





タッチの差で、

力のある同業に

その地域に新店の申請を

出されていたのです。






でも、その地域に

私が支店を出したい意向は

本部はかなり前から

知っていたはず。。。。





実は、私の動き

そこの市場の特徴は

本部の人間を介して全て

相手にもれていたのです。。。。






これは 後あと

わかったことなのですが

支店を出店するとか

それ以前の問題で

実は私は狙われていました。





私の本店の地域は

農家が多く

礼儀や恩義を大切にし

ギフトが盛んな地域なため

そして経営している私が

まだ若いということで





同業の力のある3社だか

4社が結束し

私の店を攻撃しつぶして

この地域の市場を分けしよう

と話し合っていたというのです。






今考えると

恐ろしいですね。 ^_^;






この力のある3~4社の

社長方はわたしと

親子ほども離れた

ベテランの経営者。





なんかやたら

近隣にオープンされるなぁ…

と思っていたのですが





「斎藤を潰して市場を山分けする」

なんて同盟が組まれていたとは

当時、想像もしていませんでした。





そしていよいよ

私達があたためてきた K市に

力のある同業がオープンし

見事にその地域のウチの

お客様は流れてしまいました。





その力のある同業は

私が出店したかったK市で

一年目から 年商一億円を

売上げ、華々しく

ロケットスタートを決めます。






この時、本部を含め

「やられた…」 と

ひどく憎みましたが

今考えれば当然自分の力不足。






趣味の釣りに没頭していた

大馬鹿やろー!時代に

ちゃんと先を読み

準備をしておけばよかった…

と悔やまれました。






あたためてきた市場を

取られただけでなく

同盟を組まれた大人たちの

戦略で、毎週のように

チラシでの攻撃が始まります。





固定客は取られないにしろ

かかわりがまだ薄い

一見客はみごとに

少なくなっていき 防戦一方。





本来商売は

決して戦ではないのに

信じていた人に裏切られる

というのは、何とも切なく

やるせない気持ちになりました。





あらゆる角度から

攻められるので

一年で 2000万円近くは

落ちたと思います。





本部を信じることが

できなくなった私は

どう守ればいいのか…と

歴史の関ヶ原を読み返したり

本当にもがきました。










そして、

泣きっ面に蜂とはこのこと。

私はその後、盲腸となり (笑)

さらに麻酔ミスで脊髄に

麻酔が残ってしまい

一か月寝たきりとなりました。






その時、

関ヶ原のビデオを借りてきて

ベッドの上で何回も観てました。





家康の立場から

石田三成の立場から

裏切る立場から

裏切られる立場から

勝つ側、負ける側

何かヒントはないかと

いろんな角度で関ヶ原を

観ていたのを覚えてます。






その後

相談する場所がなかった

私は、何でだったかな?

私の名前を付けてくれた

名付け親を訪ねることとなります。





その名付け親は気学の先生で

その世界では有名な方でした。





私は藁にもすがる思いで

そのおじいちゃんを訪ねます。。。。