PK戦は時の運、勝敗はどちらに転ぶか分からない。
昨年の天皇杯全日本選手権県予選を兼ねた県選手権の決勝戦では、未だ高校生であった彼は決勝点を挙げて一躍ヒーローとなった。
この日も昨年の再現とばかりに、延長に入ったところで樹選手に代わって投入された。
そして延長戦でも勝負は決まらずPK戦に突入すると、彼は2巡目のキッカーに抜擢されたのであるが、GKに読まれてセービングされてしまった。
結局この失敗が尾を引いて山雅は敗戦を向えたのであるが、彼は一人、この日は冷たい雨の中で打ちひしがれた。
ピッチを去る際には一人涙を流し、霜田監督や村山選手に励まされる姿は痛々しかった。
クラブ育成組織出身の18歳である想来選手にとっては荷が重すぎる結果となってしまった。
それでも、これからプロのサッカー選手として、この経験を次につなげてほしいところだ。
一方のAC長野の最後のキッカーを託されたのは、昨年まで山雅でCBの主力として活躍した大野選手だった。
山雅のサポーターの大ブーイングにも関わらず、冷静にビクトル選手の動きを捉えて、チップキックでほぼゴール正面に決めて魅せた。
これはサッカー用語で『パネンカ』と呼ばれるもので、GKが左右に動くことを想定し、ゴールの中央にむかって、あざ笑うかのようなチップキックで柔らかいボールを放つシュート方法のことです。
1976年”欧州選手権決勝のPK戦”母国チェコスロバキアは優勝すれば初タイトル獲得キッカーのパネンカ選手自身がPKを決めれば優勝決定の場面。
相手GKは当時の世界最高峰GKゼップ・マイヤー選手(ノイアー選手に抜かれるまでドイツ代表GK)に対して、このキックを決めて母国に優勝をもたらした。
このPKでのキックを、彼の名前を取って『パネンカ』と呼ばれるようになった。
大野選手はこの大舞台で強い決意で臨んだPK戦、真ん中に蹴り込んで勝利を決めた瞬間、山雅サポーターを黙らせることとなった。
昨年まで山雅の主力として活躍した選手が、昨年山雅から放出され、そのライバルチームであるパルセイロに強い気持ちをもって移籍した。
彼のサッカー選手としてのモチベーションは山雅を倒すことにだけに集中した結果、この大舞台で魅せた『パネンカ』だったのではないでしょうか。
大野選手を指名したシュタルフ監督は「重圧で萎縮する選手もいれば、気合が入る選手もいる。大野は後者。だから大役を任せた」と説明した。
100戦練磨の経験豊かな選手であってもPKはキーパーとの1対1での勝負。
入って当たり前ということから、キッカーには相当なプレッシャーがかかっている。
誰もがその命運を握るPKは蹴りたがらない。
逆にGKは止めたらヒーローになれると思い、勇気を出して立ち向かうのである。
PKのキッカーとなるには、それだけの覚悟と勇気が必要なのだ。
今回はPKを蹴った各選手たちの勇気を称えようではないか。
この試合、それぞれの選手が強い想いを持って臨んだ、PK戦までもつれ込んだ白熱した試合。
最終的には明暗を分けた二人の選手。
今節のリーグ戦には再び名前を連ねるであろうか。
何れにしても、それぞれのチームを背負って立つ選手として育って欲しい。
(山雅フォトギャラリーより)