今節のFC岐阜との対戦は、負けなくて良かったと捉えるべきか、
あるいは勝てる試合を落としてしまったと、捉えるべきか?
どちらのチームが今季目指そうとする“らしさ”を出し切れたかと言うと、前半はFC岐阜であり、後半は逆に山雅だった。
前半は相手のプレッシャーとアグレッシブな守備により思うようにボールを繋ぐことができず、自陣に押し込まれ、昨年までよく見る光景となってしまった。
そして相手にボールを繋がれ、何度も決定的なスルーパスに裏を取られる場面が散見した。
山雅DFの対応が後手後手になってしまったなかで、14分にはトラップミスから窪田稜選手にボールを拾われ、呆気なく失点を喫してしまった。
サッカーって本当に意思のスポーツである。
今節は皆、省エネサッカーで行こうと思ったのであろうか?
負の連鎖から抜け出すためにはどうすればいいのか。
相手に得点を許しても目が覚めるかと思いきや、なおも相手の激しい攻撃にさらされ、なかなか巻き返せない状況で嫌な流れで時間が経過していく。
それでも前半終了間際にCKからパウリーニョ選手の目の覚めるようなミドルシュートがゴールネットを揺らし、何とか試合を振り出しに戻した。
そしてハーフタイムを境にチームの闘う闘志に火が付き、チームは変貌していく。
後半に入ると見違えるように積極的な守備にスイッチが入った山雅の各選手は、これが前半の山雅?
と思わせる豊富な運動量でアグレッシブに高い位置から相手にプレッシャーを掛け続けた。
やはりサッカーの試合は選手個々の意思の力が勝負ポイントとなる。
その意志の力を引き出す要素は何か?
そしてチームは前半とは変わって後半は見事に戦うチームに変貌した。
結果として後半は相手の足が止まり、山雅の選手達はアグレッシブに動き回り相手を圧倒する守備と攻撃を繰り広げた。
ハーフタイムを境に急にチームがエネルギー補給をしたかのようにダイナミックに生まれ変わった。
そこには何らかの『刺激』による変化点があったはずである。
劣勢の状況をどのように変えることができるのか。
今回はミスによる失点によってチームは戦う集団へと変貌したのではあるが・・・
その前にハーフタイムのロッカールームでは、前半のふがいない戦いぶりを霜田監督の刺激によって、チームには何らかの変化が生じていたに違いない。
決定的なチャンスを演出するためには、失敗を恐れない“勇気と意思”が必要なんだ。
そして滝選手や菊井選手が決定的なシュートを放つのであるが、枠を捉えきれなかった。
岐阜の長良川の地まで沢山のサポーターが押し掛け、さながらホームのような雰囲気をつくりだした。
このサポーターの後押しも選手たちを戦う集団へと導いたに違いない。
チームが戦う集団へと変貌していったのもサポーターの後押しがあったからに違いない。
勝ち切れなかったのではあるが、後半は果敢に攻め続ける姿勢を貫いた。
観客と選手が一体となった結果、同点に追いついたと言ってもいいのではないか。
それでも最後は相手の攻撃にさらされたのであるが、体を張った守備によりお互いに追加点を奪うことはできなかった。
このまま今回の後半における戦い方を継続していってほしい。
現地まで応援に駆けつけてくれた沢山のサポーターの皆さん、お疲れさまでした。
このサポーターのためにも勝利を手繰り寄せて欲しかった試合内容だった。