憲法について | 中村教授の愉快な毎日

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憲法を読んでいると、かなり違和感を感じてしまう。

もはや古すぎて、時代に合わないのだ。

たとえば、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とある。

個人のレヴェルでいえば、この街はいい人ばかりなので、ドアにカギはかけません、ALSOKとも契約しません、ということだろう。

日本の周りに、なんの威嚇も、領海侵犯も、反日教育もしない、平和を愛する諸国民がいるのか、冷静に観察してみる。

そんな国家は台湾ぐらいのものだとわかる。

憲法は翻訳なので、必ず原文の英語を読む必要がある。

問題の部分は


"trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world"  


である。

"peace-loving" という形容詞も、ドンパチやっていた直後なら、心に響いただろうが、今は、虚しく響くだけだろう。

平和を愛する台湾と日本にしても、アメリカから、武器を大量に買わされている。

戦争はしませんから、武器は要りませんと言えるか、という問題となる。

諸国民は、"justice" 悪いことはしない、と決めつけているのが、お花畑すぎるのではないかと思ってしまう。

これが国家の基本法だと思うと、前提があまりにお人好しすぎる。

前提が戦後直後の状況だけを反映し、時代遅れなのだから、政策、外交もすべて間違ってくるのではないか。

昨年、話題になった、結婚は、両性の合意に基づく、という箇所もそうだ。

現行憲法は、想定していないことが多すぎる。

即位の礼で、「日本国憲法を遵守し」と上皇陛下(当時の天皇陛下)に言わせたのは、そのとき、うーん?と違和を覚えた。

そこだけ、なぜか、浮いて聞こえたのだ。

これは、憲法を変えるな、ということになってしまうのではないか。

「天皇の政治利用」に抵触しかねない。誰が書いた原稿なのか。

今上天皇も、「憲法に則り」と言わされている。




陛下が憲法を守る、と仰っていたら、これは、どんなに時代遅れで、危険な法律でも変えにくくなってしまう。

ちなみに、諸外国では、戦後、何回も変えている。

戦敗国、ドイツでさえ、変えているし、台湾も、李登輝総統の時だけで、4、5回は改正している。