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こうたろうの柿生風景日記

中年男が、希望に向かって進んで行く軌跡を記したブログ・・・

朝起きる事が苦手です。


原因は単純なことで、就寝時間が遅いから。


何故、寝る時間が遅くなるかを、最近考えていました。


一つ目は、深夜になっても何か作業を続けていること。


二つ目が、夜の方が、効率が良いと思っていること。


それぞれについて考えてみます。



ひとつめの作業の連続について。


深夜にずるずると何かをし続ける理由は、


満足できないからです。


決めた一日の量であり、質に対してです。


だから、それを求めていると、気が付くと深夜なのです。



ふたつめの効率について。


効率が良いと言うのは、ちょっと違います。


確かに、不思議ですが、夜の方が新しい(と思う)ことや、楽しい(と思う)ことを思いつきます。


しかし、それらをまとめて、翌日に読み返すと、ひどい内容だったり、思いつきだけだったりします。


ラブレターを深夜に書いて、翌朝読み返すと、顔から火を噴くような恥ずかしさを感じるという話に似ています。



私の理想は、早朝、4時くらいに起きて、しばらくゆっくりしたり散歩したりします。


そのあと、シャワーでも浴びて身を引き締め、読書をする。


そうすると、頭が冴えてきて、様々なアイデアが浮かんでくる。


それを思いつくままにまとめて午前中は終了。


午後は、作業です。ルーチンワークも含めてしなければならないことに当てます。


夕食前にウォーキングをして考えをまとめる。


夕食後はリラックスして体と心を休めます。


そして早い時間に就寝。



しかし、これをやろうとしても、現実は、


就寝時間が遅いので、早起きすると寝不足で、頭はすっきりしません。


すると、クリエイティブな作業ができないまま午前中が終了します。


午後の作業時間はそれなりに過ごしますが、午前中のクリエイティブ事がないことが気になります。


夕食後も午前中の埋め合わせのためにズルズル・・・、そして深夜。



深夜の思考は奇抜すぎる、考えが浅い、短絡的であることは分かっているのに、それを繰り返してしまう。


さて、どうするか。


決めました。夜、9時以降はパソコンの電源を切ることにします。それ以降はアイデアが出てもノートに概略を書くだけ。深く考えない習慣をつける。眠れなかったら読書をする。


そうこうしているうちに眠くなるでしょう。


そして朝は、4時に起きることをマストにする。


これをしばらく続けてみることにします。


2週間後が楽しみです。




・・・おわり

子供は大人が思いもつかないことを平気でします。


善悪の基準が未熟だからでしょう。


しかし、普通は、本能の良心が行き過ぎを止めるものです。


大津市の中学生自殺問題。


自殺の練習までさせていたとのことですが、行き過ぎを更に超えています。


ここまで行き過ぎたことでも、周りはいつもの傍観だったのでしょうか。


そして、いつもの様に、教育委員会と学校へ非難が集中します。


大人たちに責任が無いとは思いませんが、


彼らには何もできないことを、みんな解っています。


親ですらコントロールが難しいことを、他人に、それも職業的にしか関われない人たちに求めることができるでしょうか。



解決法は、


子供のことは子供たちに任せる、以外にないと思います。


子供たちにも立派な社会があります。


その社会が解決しなければならない問題だと思うのです。


なぜ、たかだか、数人が起こしている不条理をおさえる事ができないのか。


良心の呵責よりも、沈黙の方が楽なのか。


学級会なんて先生の手前で演じる議論ではなく、子供たちが自主的に問題に向合う必要があるのではないでしょうか。


以前、ジャイアンの必要性について書いたことがあります。


ジャイアンの様な(昔風に言うと番長でしょうか)輩は、乱暴で、無神経ですが、

「いざの時」は守りの中心にいるものです。


だから、暗黙で、子供の社会がその存在を許したものです。


ジャイアンは絶対、ある域を超えての悪さはしません。


子供の社会の存在を意識しているからです。



大人は、子供の社会の主体性を明確に信じるべきです。



いつからか、大人が子供社会を取り上げたのではないでしょうか。


大人がコントロールできるように。


子供社会が陰ってきたのは、やはり、テレビゲームの普及あたりです。


それまで、子供社会を運営してきたのは、子供たち自身だったわけです。


遊びを発明して、ルールを作って、大人の真似をして学び・・・・。


主体的な社会の礎が至る所にありました。


そこに、テレビゲーム。


遊びは大人から買う。ルールは攻略本から知る。大人の真似ではなく、既にすべてが完成した世界・・・。


ある意味、かわいそうな世代です。


今更、子供たちからゲームを取り上げるわけにも行きません。



でも、子供たちの社会の正義を信じたいものです。


少なくとも私は、自分の娘には、子供社会の重要性を説きたいと思っています。



大人が子供たちをコントロールしようと考えている限り、事態は決して良くなりません。


自覚をさせ、信じて、任す以外にありません。





・・・おわり

去り際に、一言を放つ人がいます。


去るときでなく、話の終わりに、一言を付け加える人もいます。


捨て台詞というものです。


芝居などで、粋な、気の利いた、シーンを引き締める言葉であることが多いので、その真似のつもりかもしれません。


しかし、私は、思いつきの、捨て台詞が好きではありません。


露骨さを感じるからです。


日本語は、最後になればなるほど、結論的な本音を述べる仕組を持っています。


去り際や会話の終わりに、ボソッと言われると、それが、その人の最終的な本音に聞こえます。


一言なので、ぶっきらぼうです。


笑顔で冗談ぽく言っても、皮肉に聞こえるだけです。


本人は軽い気持ちで言っているのでしょうが、様々に勘繰られてしまいます。


捨て台詞は吐かない方が良いです。


本当に言い足りないと感じているのであれば、会話に戻って、ちゃんと説明をするべきです。


ボソッと短い言葉で、相手に的確に自分の本意を伝えられるのは、相当の訓練を積んでいる人だけです。それほど高度なテクニックなのです。


捨て台詞だけでなく、何気ない一言の全般に言えることです。


我々は、言葉で、ほとんどの感情を支えています。


その感情が、ほとんどの行動を支配しています。


つまり、言葉のやり取りでその人の生活が成り立っているのです。


言葉は伝え方にも注意しなければなりません。




・・・おわり

テレビの対象は誰でしょうか。


番組の内容を観ると、昼間は主婦層、夜は若い女性でしょう。


ラジオは、昼間は主婦層、夜は未成年層だと思います。


在宅率や視聴率の調査結果を踏まえてのことです。


我々、中高年層の男性を相手にするメディアは何でしょうか。


NHKと新聞、雑誌というところでしょう。


テレビ、ラジオの収益を支えているのは、広告収入です。


つまり、スポンサーが物やサービスを購入してくれる層に対して訴求を行うのです。


昼間は仕方がないとしても、夜の対象が若い層ということは、中高年、特に男性はお金を使わないとみられているのです。


情報が無いから買わないのか、買わないから情報が来ないのか。


疑い深い大人の男性への売り込みが困難であることも一因かもしれません。


しかし、人口でいうと、かなり大きな層のはずです。


テレビの視聴率低下が止まらないらしいです。


これまでの対象層がインターネットへ移っているからというのが分析です。


すると、テレビからインターネットへの誘導が始まります。


どこまでも、若い層を追いかけるのです。


追われると逃げたくなるのが、昔からの人情なのに。


メディアは中高年層に、それも男性に的を絞って番組を編成する時期に来ていると思います。


男性は買う、数は少ないですが、買う商品の、単価は高いのが特徴です。


また、マニアックな物への購買意欲もあります。


つまり、これまで広告を出さなかった、ニッチ産業をスポンサーにできるのです。


横並びな、同じような番組をつくるより、ちょっと変わった視点で番組を作ってみるの面白いですね。(テレビ東京の手法でしょうか)


こんなことを、ちょっと思いました。




・・・おわり

真理の探究


良い響きです。


真理とは絶対的なものです。


絶対的法則と言い換えてもいいでしょう。


真理は人間の遠く及ばない、大宇宙を支配しています。


人間は、そのかけらを垣間見ることが精いっぱいです。作り変えることなど許されません。


人間がこれまでに見つけた心理はわずかで、物理法則などがその例です。



人間の営みを支配しているのは、私たちの心です。


この心に真理はあるのでしょか。


70億人の人間がいます。


すべての人が異なる心を持っています。


ひとりの人間を観ても、刻々と心は変化をしています。


心理学や哲学などは、最大公約数的な統計で人の考えや心を説明しているにすぎません。


心は微妙で繊細ですから、平均的な法則は馴染みません。


私たちの心にある真理に近い概念は、良心です。


自分にとって、良い(正解)という意味も含みます。


私たちは、この良心に照らし合わせて心の動きを決定しています。




普遍の宇宙の真理は、ある意味単純ですから、その探求に多くの人が携わることができます。


良心は、その本人にしか解らないことが多すぎます。


ですから、良心の探究は自分自身にしかできないことになります。


孤独な探究です。的を得た教科書もありません。


非常に困難な研究です。


良心は、宇宙の真理とは異なり、自分で変える事ができます。


ここが素晴らしいところです。



真理と良心


どちらも見つける事が難しいものです。


だから価値があるともいえるのでしょう。



人間、死ぬまで勉強


本当の意味は、心の探究ではないでしょうか。




・・・おわり