こうたろうの柿生風景日記 -6ページ目

こうたろうの柿生風景日記

中年男が、希望に向かって進んで行く軌跡を記したブログ・・・

欧米、特にアメリカで博士号を取るとPh.Dが与えられます。


Ph.Dはラテン語の「Philosophiae Doctor」の略語らしいです。


哲学博士という意味になります。


工学でも理学でも哲学博士(Ph.D)です。


大昔の学問は哲学のことを指しましたからその名残でしょう。


ドイツかどこかの習慣が始まりらしいのですがなぜ現在まで続いているのかが解りませんでした。


先日この様な経験をしました。


娘に分数の計算を教えているときのことです。


3つ4つの分数の演算です。


彼女は2つの分数の計算はできるのですが3つ4つになると難しいと感じるのです。


そこで後ろの分数は指で隠して前の2つを計算して分数の個数を減らしていけば同じことだよ・・・と教えました。


でも娘はその意味がよく分からないようです。


全部を一気(掛け算割り算なので)にやりたがるのです。


そこで私、


「何でも同じだよ。人間は一個、二個、たくさんと感じるから、難しいと感じる事はちょっとずつ少しずつ解決して行くんだよ。人生と同じだね。」


面白いことに気付きました。


小学生の分数の計算から人生の生き方が見えてきました。


学問を追及していくと生き方(哲学)の真理のようなものが見えてくるんですね。


真理は概念としてつながっているはずなので学問体系とは関係が無いはず。


その理想がPh.Dには込められている様な気がします。


日本では工学博士、理学博士、・・・です。哲学博士とは言わないで出身学部の称号の文学博士や教育博士などを名乗ると思います。


学部単位での称号。


名前ですからどうでも良いことなのですが、無味乾燥ですね。意味合いが無いです。




博士たるもの人生を語れなくてどうする・・・ だから Ph.D




・・・おわり

売ろうとしないこと


これが一流の営業マンの鉄則らしいです。


何となく理解できます。


買ってくれと露骨に下心を出されては買いたくてもためらってしまいます。


これと同じことが販売手法にもいえると思うのです。


小売量販店は過当競争の最たるものですが、


流行っている店に共通のイメージがあります。


これで儲かっているの?


と思ってしまうことです。


単なる安売り店はたくさんあります。


しかし、流行っている店は安いのは当然ですが、従業員もたくさんいたり店舗やトイレの清掃がキチンとされていたりします。


安く売っているのに手を抜いていない感じがするのです。


儲かっているの?と思うと応援をしたくなるのが人情です。


他にもこの様な例があります。


俗にいう高級料理店です。


とにかく高い。普通の感覚の5倍はするのではと思うくらいです。


味が5倍もしないのは誰でも解っています。


当然お客さんは少ないです。


(外から)眺めるといつもガラガラです。


これで儲かっているの?


と思ってしまいます。


でも何年も続いているので大丈夫なんです。


その類の店はとにかく高級でなければなりません。


高級っぽいのではないのです。本当に高級でなければなりません。


店内の装飾、従業員の態度や言葉使い、店先の雰囲気・・・


全てに気合が入っています。


ですから相当コストはかかっているはずです。


高級感を求める人たちも儲かっているのと思っているはずです。


だから応援してしまう。


売ろうとしない、儲かっているの? とお客に感じさせる。


どこか共通した概念だと思います。


これらの店がどのくらい儲かっているのかというと、たぶん、小さな利益だと思います。もしかしたらトントンかもしれません。


でもこの様な店は応援(固定客)で成り立っていますから非常に安定です。


これが商売の極意なのかもしれません。




・・・おわり

蒸す季節になりました。


娘は鎌倉へ遠足です。


私は執筆中の佳境。



昨日は隣のおじいちゃんのお通夜に行ってきました。


91歳の大往生でしたがやはりさびしいです。


親しい人の死に向き合うと必ず誰しも思います。


幽霊になって出てきてほしい。


出てきてくれるとさびしさが紛れるからです。


しかし大きなことも同時に解決します。


あの世(死後の世界)が実際にあるという安心と希望が得られることです。


死んでも別の世界でまた新たな生活を始められることが解ると大きな勇気が出て来るわけです。


私は一度も霊の類に出遭ったことがありません。


いないのかもしれません。


世の中には見える人がたくさんいるそうです。


ほとんどが何かの見間違いだとしてもいくつかは本当かもしれません。


丹波哲郎さんがテレビのスタジオに生出演して世界中に話しかけてほしいです。


昨日はこんなことを考えていました。




・・・おわり

人はいつも何かを待っています。


何度も携帯やPCのメールチェックをしたりします。


Facebookも一時間に一回はチェックするでしょうか。


こちらが発信をしていないならば、飛び込んでくる何かを期待しているわけです。


これはIT化が進んだ現代だけの話ではありません。


昔は家の郵便受けを何度もチャックしたもんでした。


考えてみるとテレビをつけっぱなしにして観ているのも似た様な心理かもしれません。


飛び込んでくる何か(情報)を待っています。


良いことに出会うとラッキーだと思います。


しかし、ラッキーは一年に一回でもあれば良い方ですよね。


これは当たり前のことで、何も仕込んでいないところから結果だけを待っているのですから。


期待感は結構心地良いものです。


待ちに待って、飛び込んで来たものがラッキーならば更に気持ちいい。


だったら自分からいっぱい仕込んで結果の出る確率を上げると良いのでしょう。


悪い結果の頻度も上がりますが、ラッキーがそれを埋めて余りがあります。


人事を尽くして天命を待つ


やれることはすべてやり尽くして、後は待ちの快をたのしみましょう。




・・・おわり

昨日、瞑想の話を書きました。


今日のあるメルマガでの話題です。


「脳は息を止めることで活性化する。息を止めると血中の酸素濃度が下がる。すると、脳は生命の危険を感じて血管を拡げ脳に酸素を行き渡らせようとする。結果、頭が冴え活性化する」


らしいのです。


この話題を読んでいて瞑想の呼吸法のことを思いつきました。


スッと一気に吸って、ゆっくり長く細く吐きます。


20秒から30秒かけて吐くことが理想的らしいです。


やってみるとわかりますが、これは息を止めているのと同じくらいに苦しい呼吸法です。


これを10分程度続けます。


息苦しいと感じるということは、擬似酸欠状態になっているのでしょう。


少なくとも脳はそう感じているはずです。


瞑想は頭をすっきりさせると言われますが、こういう理屈だと思います。


瞑想をやっているとき、私は呼吸法にそれほど注力していませんでした。


どちらかというと雑念を取り去ることに集中していました。


効果が解りませんでした。


でも、つながりました。


呼吸法だったのです。


昔の人は脳の働きや酸素などの知識はありませんから、座禅を組んだり半眼にしたり雑念を取り除くなどのように厳かな形式化をして呼吸に集中させるようにしたのだと思います。


お医者さんが書いている本で紹介している瞑想の説明にはこの酸欠のことは書いてないのでそれほど一般的なことではないのでしょう。


何かを真剣に考えていると、情報は相手の方から飛び込んでくるようになります。


普段ならば何事もなく読み飛ばす程度のことが、頭の中で考えている状態(アイドリング)にあると、関連性を瞬間的に感じて意識を集中させるのです。


だから飛び込んでくる。


ちょっと前に、引き寄せの法則なんてものが流行りましたが、このことですよね。


でもそのためには無意識下でも頭の中で考えている状態(アイドリング)をつくっておかないといけません。


今日は、2つの収穫でした。


瞑想の仕組みが分かったこと


情報が飛び込んできたこと





・・・おわり