雲水 | あべこう一(阿部浩一) Official Blog

あべこう一(阿部浩一) Official Blog

シンガーソングライター

 川は流れているからこそ清らかなもの。水は同じところへ滞留していると淀み、やがて腐ってしまいます。それは人間も同じで変わることを極端に恐れ、その場に留まり続けていると淀み腐ってしまうでしょう。よくありがちな自己啓発本の受け売りのようですが今の時代、変わらないでいることのほうがリスクだと常々感じています。

 しかも変化を求める周期も石の上にも3年どころか、3ヵ月先を見据えた行動を考えなければならないほど世間は慌ただしいものです。変化することは挑戦や闘いなどというような勇ましいものではなく、弱者のための生存戦略ではないかと思います。

 「行雲流水」とは「空を行く雲と流れる水。物事に執着せず、淡々として自然の成り行きに任せて行動することのたとえ」(デジタル大辞泉)のことです。そしてその行雲流水のごとく、雲のように水のように一つの場所に留まらず、かたちを変えながら流れるように旅を続ける修行僧のことを雲水といいます。

 20代のころから40歳の現在に至るまで、私は半ば、堪え性のない自分を正当化する方便として行雲流水にあこがれ、雲水のありように心を寄せてきました。その思いに反して誰よりも物事に執着し、不自然な行動を取り続けてきた私ですが、ここ数年で20~50代の友人や知人らを立て続けに亡くし、45歳で亡くなった父親の年齢にも近づいた今、行雲流水の思いを新たにしています。

 嫌なことをがまんして続けている時間は一瞬たりともないなぁと。

 足し算ばかりでは自分の人生、どんどん重く複雑になって動きも悪くなるのが道理。それは古くて低スペックのパソコンに、最新型のアプリをどんどんインストールしようとするようなものです。それよりも薄皮を剥がしていくように、毎日小さく生まれ変わっていきたい。そして最期は玉ねぎのように芯も残らないという生き方(行き方)が理想的です。