伊坂幸太郎の小説を数編読んだところで、ふと感じたのは「解放」とか「脱却」とか、そんな感じ。
抽象的ですが、そんなことを感じます。
「人間って○○。」あるいは「人間なんて所詮○○。」っていう提起がなされているように思うのです。
「人生」とか「人類」とか「生物」とかいった、そういう大きい切り口で、くわっと俯瞰で見てみりゃ、僕らはヒジョーにちっぽけなことで一喜一憂したり、意識的に縛られてたりしている、ヘンな、いびつな、生き物であるよなー、というのを僕は、伊坂幸太郎の小説を読んで感じ取ったりしています。
これを「視野が拡がる」とか「幅が拡がる」とかいった言葉で表すと途端に陳腐な感じになるけども、実生活に置き換えると、そういう効能をもたらしてくれているような実感があるわけで。
最近、そういうことをよく感じます。ぶわっと。
伊坂幸太郎の小説や、行きつけの某GMオーナーをはじめとしたいろんな人、あるいは好きな音楽。映画。バンド演奏。
そこにはやっぱり何かから「解放」してくれる力が、なんかあって、それを求めて読んだり会ったり行ったり聴いたり観たりしているように思います。
要は(と、まとまるかどうか確信のないまままとめてみると)、
「目の前のあなたにしてあげたいこと」を感じてそれを行動することは、「国家」とか「法律」とか「義務」とか「規則」とか、あるいは「売上目標」とか「接待」とか「取引」とか、そんなものを超越することがあるんだわね。きっと。
人類が蓄積したケーススタディーは、すべてを網羅していない。できないのかもしれない。