工兵ノート「調子はどうだ」 -35ページ目

工兵ノート「調子はどうだ」

広島アラサー会社員。AB型男性。
たまに書きます。TwitterとかFacebookとかにこぼれたことを。
倒置法です。

落ち着いていれば、あるいは落ち着いているように見せることができれば、

だいたいのことは何とかなるのだ。


大切なことは、力まなくても、声高に言わなくても、良くて、

大切なことは、落ち着きながら、確かに口にすれば伝わるんだろうね。


それを「自信があるやつぁいいな」と批判するやつがいるならば、

「自信に根拠があったためしがあったかい?」と言いまする。
伊坂幸太郎の小説を数編読んだところで、ふと感じたのは「解放」とか「脱却」とか、そんな感じ。

抽象的ですが、そんなことを感じます。

「人間って○○。」あるいは「人間なんて所詮○○。」っていう提起がなされているように思うのです。

「人生」とか「人類」とか「生物」とかいった、そういう大きい切り口で、くわっと俯瞰で見てみりゃ、僕らはヒジョーにちっぽけなことで一喜一憂したり、意識的に縛られてたりしている、ヘンな、いびつな、生き物であるよなー、というのを僕は、伊坂幸太郎の小説を読んで感じ取ったりしています。

これを「視野が拡がる」とか「幅が拡がる」とかいった言葉で表すと途端に陳腐な感じになるけども、実生活に置き換えると、そういう効能をもたらしてくれているような実感があるわけで。

最近、そういうことをよく感じます。ぶわっと。

伊坂幸太郎の小説や、行きつけの某GMオーナーをはじめとしたいろんな人、あるいは好きな音楽。映画。バンド演奏。

そこにはやっぱり何かから「解放」してくれる力が、なんかあって、それを求めて読んだり会ったり行ったり聴いたり観たりしているように思います。


要は(と、まとまるかどうか確信のないまままとめてみると)、
「目の前のあなたにしてあげたいこと」を感じてそれを行動することは、「国家」とか「法律」とか「義務」とか「規則」とか、あるいは「売上目標」とか「接待」とか「取引」とか、そんなものを超越することがあるんだわね。きっと。

人類が蓄積したケーススタディーは、すべてを網羅していない。できないのかもしれない。
害がない=健康

に、あらず。



従来の食品・飲料が突如として「健康」「ヘルシー」と広告でうたいだすことに、飽き飽きしている風潮が今後充満する。

に、違いない。



「健康のために○○しなきゃいけない」は世に溢れていて迷わせるだけ。
ではなく、「今のあなたのライフスタイルに健康をプラスするなら○○」。みたいな。

この違いを明確にしたほうがいいのかもなーん。


「エコ」も同様。


だと思う。