パリにはワールドカップサッカー女子の応援に行きました。せっかくのパリ新婚旅行で来たことがありましたから思い出にちょっぴり浸りつつ今回初めての場所を観光することにしました。
2019年6月10日(現地時間)パリ西部のParc des Princes スタジアムで日本対アルゼンチン戦を観戦しました。
日本のボール支配率はかなり高かったと思います。シュートも打っていましたが、ゴールが見れず残念でした。
ちなみにテニス全仏オープンも同時期に行われていてローランギャロスに行ってみましたが警備が厳しくナダル対フェルダーの決勝戦の歓声を遠くから聞いてきました。(笑)
とりあえず行った記念に撮影したロゴ。
フランスの首都パリ、イルド=フランス地域圏の首府でもあります。
パリ盆地を流れるセーヌ川の中州シテ島は紀元前3世紀ころから集落がありました。
ローマ支配化になってからセーヌ川左岸にかけて集落は広がって劇場や闘技場がありました。ローマが去ってからは城塞都市になりこのころから「パリ」と呼ばれるようになりました。
5世紀末にフランク王国に、9世紀にはヴァイキングの襲撃を受けてカール3世はお金で解決したことで市民からの信望を失いました。10世紀にパリ伯、カペーがフランス王になり987年フランス王国の首都となりました。
12世紀にはパリ水運商人組合が作られのちに商人頭はパリ市長となることになりました。
13世紀ノートルダム大聖堂が完成してパリは成長していきます。
14世紀になるとパリの支配権をめぐって争いが多くなり百年戦争ではジャンヌダルクが活躍しました、16世紀後半ユグノー戦争ではパリはカトリック側の拠点となりプロテスタントが虐殺されたことで民衆の反乱がおきたりしました。(1588年5月12日はバリケードの日と呼ばれています。レミゼラブルのバリケードはここからきてるのかな?)
16世紀から17世紀にかけてはルイ王が統治していきます。はじめルイ13世のときは町の宮殿やソルボンヌ大学の改築などを行っていましたが14世になるとフロンドの乱で貴族勢力が打倒され絶対王政となりパリ郊外のヴェルサイユ宮殿で政務を行うようになりました。15世16世は教会や城壁などを建設して人口が64万人に増大。しかし18世紀の終わりころフランス革命がおきます、資本主義と資本主義憲法を求めて民衆と政府軍が戦いました。こっそり逃げたルイ16世とマリーアントワネットは裁判にかけられ処刑されました。19世紀になってナポレオンが登場します。政治的には不安定でしたが産業や文化が発展しましたヴィクトルユゴーやモネ、ルノワール、ゴッホなどが活躍しました。鉄道や水運も発展し1861年には人口は169万人になっていました。
19世紀~20世紀にかけて数回万国博覧会が行われ1900年メトロが開通し経済都市に成長しました。
第二次世界大戦ではドイツに占領されましたがノルマンディー上陸作戦から2か月半後解放されました。
新婚旅行では行かなかった所
①エッフェル塔
セーヌ川クルーズで遠くから見ただけだったので見てきました。
1889年完成、パリ万博に合わせて建設されました。
高さ300m、それまで高くても160m位の建物でしたから当時としてはとんでもなく高い塔です。
ユネスコの世界遺産に登録されています。
コンコルド広場、1755年に作られルイ16世マリーアントワネットがギロチンされた広場。近くのオランジェリー美術館の開園まで広場を楽しむ予定でした。
朝早く観光していたら数名の女性のグループにアンケートを要求されました。明らかに紙が擦り切れていて怪しいと思った私は拒否し続けました。女たちは私を囲んでしつこく迫ってきます、夫とも距離ができてしまいました。夫が私のほうを見ると後ろから別の女がバックの中に手を入れているのを見つけとっさに大きな声を出しました。「わーーーー!」女たちは走って逃げていき私の小銭入れを「拾った」と言って投げて行きました。
怖くなってしまいコンコルド広場は危険なので写真1枚だけ撮って美術館に行きました。
パリはトラブルが多いと聞いていましたが、ジプシーと呼ばれる女たちの連携犯罪を未然に防げて良かったです。
動揺しながらモネの睡蓮を見に行きました。
長くなったので今回はここまでにします。
読んでいただきありがとうございました。