『日本国紀』読書ノート(218) | こはにわ歴史堂のブログ

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218】日中国交回復はアメリカの意向ではなく、自らの意思で外交した例である。

 

ベトナム戦争について。

 

「アメリカは、ベトナムの共産主義化を防ぐために参戦したが、ソ連の支援を受けた北ベトナムのゲリラの前に、予想外の苦戦を強いられた。そこでアメリカは、ソ連と対立していた中華人民共和国に接近する。」

 

と説明されていますが、北ベトナムを支援していたのは、ソ連だけではなく中華人民共和国も援助をしています。とくに毛沢東は、ベトナムに対しては「友人」として強力な支援を申し出ています。「さぁ、ほしいものは何ですか。食糧ですか、武器ですか、何でも言ってください。」と北京を訪れたホー=チ=ミンに話しています。

(『毛沢東秘録』)

ソ連と中国は後に対立しますが、ベトナム戦争には「競うように」軍事援助をしています。北ベトナムはソ連だけが支援していたのではありません。

 

「すでにベトナムからの撤退を模索していたアメリカは冷戦の枠組みの再編成が必要と考えており、中華人民共和国への接近はそれも睨んでのことだった。アメリカの意向を汲んだ日本は、昭和四七年(一九七二)、中華人民共和国に接近し、電撃的に国交を回復させる。同時に、それまで国交があった蔣介石の中華民国(台湾)との関係をあっさりと断絶した。戦後、二十七年も経っていたにもかかわらず、日本は自らの意思で外交ができない国になってしまっていたのだ。」(P477)

 

これは大きな誤りです。日中国交正常化に関しては、アメリカよりも先に国交正常化に成功しました。

(ニクソン訪問で米中が国交回復したように勘違いしやすいのですが、国交回復はカーター政権の1979年のときです。)

そもそも日本は、台湾との関係を続けながらも、中華人民共和国とは民間貿易や政府間の貿易を通じて「政経分離」の方針を立てます。

経済交流、民間の文化交流を地道に進めていました。ニクソン大統領の突然の訪中は、日本にとっては大きな驚きで、「頭越し」に対話を開始され、「最初は、アメリカは日本に相談していたが、ある朝目が覚めたら中国とアメリカが手を結んでいた」という表現で当時は説明されました。(『国交正常化交渉』~北京の5日間~・鬼頭春樹)

これを一気に「打開」したのが田中角栄です。それまでの政財界の日中国交回復への努力を背景に、1972年7月7日、国交回復を実現すると宣言しましたが、その二日後にすぐに周恩来から「歓迎する」という反応を得ました。

ニクソン訪中7ヶ月後、9月25日、田中は北京を訪問し、同29日、「日中共同声明」に署名したのです。

「アメリカの意向を汲んだ」のではなく、むしろ出し抜く形で電撃的な「国交正常化」を実現しました。「日中国交回復」は「自らの意思で外交をした」好例です。

 

「世界の多くの人々が、アメリカの介入をベトナムの民族自決権を奪う行動だと見做していたのだが、これは一面的な見方にすぎない。たしかに南ベトナムはアメリカの傀儡的な国家であったが、その意味では北ベトナムもまたソ連の傀儡的な国家であった。」(P477P478)

 

と説明されていますが大きな誤りです。まず北ベトナムはソ連だけでなく中国も支援していましたし、後のソ連と中国の対立が、複雑な状況を生み出しますが、ベトナム支援は両国によって1971年まで続いています。

それから「北ベトナム」はソ連の「傀儡国家」ではありません。世界史上の「傀儡国家」とは、特定の国によって、その支配権を実質的に握られながら、「分離独立」している国家のことです。「満州国」や「冀東防共自治政府」などが代表的な例で、ベトナムに関してはまったくこれに該当しません。

まず、ソ連の支援で建国されていません。

1945年、抗日組織ベトナム独立同盟の指導者ホー=チ=ミンがベトナム民主共和国の独立を宣言します。フランスはこれを認めず、インドシナ戦争となります。

フランスは、1949年、阮朝最後の皇帝バオ=ダイを元首としてフランス連合の一部としてベトナム国を独立させてベトナム民主共和国と対抗させます。こちらは十分、「傀儡的」と説明できます。

フランスはディエンビエンフーの戦いで敗退し、休戦協定となりました。

その後、ゴ=ディン=ディエムがバオ=ダイを追放して共和政を採用し、ベトナム共和国が成立しました。こうして北のベトナム民主共和国と南のベトナム共和国が対立し、北を中ソが、南をアメリカが支援するようになったのです。

ベトナム民主共和国は1945年以降、一貫して自主独立を保ち、傀儡国家と対決してきています。軍事支援を受けたからといって傀儡国家であるとはいえません。