『日本国紀』読書ノート(11) | こはにわ歴史堂のブログ

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11】遣唐使以降の文化や技術の輸入に朝鮮は深く関与していた。

 

「今の韓国がよく『日本の文化は朝鮮が伝えた』と主張するが、史実があやふやな古代は別にして、遣唐使以降の文化や技術の輸入には,朝鮮はまったく関与していないといえる。」(P49)

 

と説明していますが、遣唐使そのものは政治的な使節としての側面が強く、文化・技術の輸入に関しては民間商人の往来が重要な意味を持っていました。

 

朝鮮半島は7世紀に新羅によって統一されますが、新羅とも使節の往来はありました。

日本は新羅を従属国として扱い、奈良時代、政権の中枢に一時あった藤原仲麻呂は渤海と歩調をあわせて、新羅攻撃も企画していました。

それもあって、8世紀半ば以降、遣新羅使は格段に減りますが、民間商人の往来は、実はここからが盛んになっていきます。

外交と民間の通商は別なのです。

「文化・技術」は、むしろこの交易を通じて多くもたらされるようになります。

8世紀末には、新羅からの使節は途絶しますが、9世紀前半には新羅商人が多数来航しています。

 

ちなみに「中世」とは院政期(平安時代末)からですので、その前までが古代。

平安時代は、外交面でも、けっして「史実があやふやな古代」ではありません。