『日本国紀』読書ノート(12) | こはにわ歴史堂のブログ

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12】稗田阿礼は『旧辞』『帝紀』を暗記していたわけではない。

 

「抜群の記憶力を持っていた役人の稗田阿礼が『古事記』を編纂したとされる(稗田阿礼は古い歴史書の『帝紀』『旧辞』などを記憶していたという)。」(P51)

 

とあります。

 

まず、『古事記』を編纂したのはその序から稗田阿礼ではなく、太安万侶であることがわかります。編纂者としては太安万侶をあげたほうがよかったと思います。

 

「抜群の記憶力を持っていた」

 

と書かれているのは、おそらく、かつては「誦習」を「暗誦」と同義に説明していたので、「暗記していた」というように理解された上で説明されてしまったとは思うのですが…

これはかなり以前で、学校の先生がよく説明していたものです。

1960年代は、百田氏はおいくつぐらいだったでしょうか。おそらくその頃に学校で習ったことが頭に残っていたのでこのような説明をされてしまったのかもしれません。

 

国文学者の研究によって「暗記していた」のではなく、意味をふまえた読み方に精通していた、という意味であることがわかっています。

「記憶していた」という説明はふさわしくありません。

教科書でも「宮廷に伝わる『帝紀』『旧辞』をもとに天武天皇が稗田阿礼によみならわせた内容を、太安万侶が筆録したもので…」(山川出版『詳説日本史B』)と説明しています。

「暗記していた」と説明すればよいのに、そのような「含みのある表現」にしているのはそれなりの理由があってのことなのです。