タテイワノタツノミコト、という神様がおられました。
大陥没し、九州の真ん中にできた巨大なカルデラにはなみなみと水が満たされていたのですが、これをみたタテイワノタツノミコトさまは、
この水を抜いて農地にすれば、豊かに稲が実るに違いない、と考えられて、堤防のように水をせき止めていた外側の山々の一角を取り崩そうと考えました。
で、思いっきりキック!
しかし、外輪山は二重になっていて、キック一発では崩れない…
もう一発キック!!
すると、あら見事、外輪山の一角が崩れて、なみなみと溢れていたカルデラの水がすべて抜け出て広大な平地ができて農業ができるようになりました、という話です。
この話にはオチがあります。
ところが、タテイワノタツノミコトさまはこのときのキックで腰を痛め(ようするにぎっくり腰)その場に倒れて起き上がれなくなりました。
そして一言。
た、た、立てぬ…
立てぬ→立野
現在、外輪山の一角が崩れて山を越えずにカルデラ内に入れる地域の地名、「立野」の由来となりました。
ダジャレかよ!!
神話の半分は、由来話…
ところで、阿蘇カルデラ内には古い火口がいくつかあり、その一つに
米塚
と呼ばれる小高い丘があります。
実に美しい形をした山。
これ、神話では、タテイワノタツノミコトさまがカルデラ内で収穫した米を山のように積み上げられたものだとされています。
火→水→治水→収穫
という、自然からの恵みを得るには、ひと手間かかる(人為が必要)という教訓でもありますが、この米塚のてっぺん、は、火口ですから窪んでおります。
この窪みは、貧しい人々に収穫された米の一部をタテイワノタツノミコトさまが救いとっておめぐみになった、という神話も加味されています。
神話は由来話と申しました。
この米塚を、分けとる話から、
「山分け」
という表現も生まれたそうです…
収穫された一部は貧しい人々へ…
税と福祉をなすのは公の使命、という考え方は、弥生時代からあったこともうかがえます。