月見のお話し | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

9月8日が中秋の名月、そして9月9日は「重陽の節句」で、しかもスーパームーン…
とくりゃ、ちょっと月の話でもさせていただきたいと思います。

「月見」、というのは、あんまり外国ではない習慣、だそうです。
「だそうです」というのは、月がきれい、という感覚は、どこの国の方も持ち合わせておられるので、「月を観る」というのはいくらでもあることだからです。

中世ヨーロッパの「白魔術」では実は、

 月光浴

というのがあり、月の光が魂を清浄化し、不吉を洗い流す、と考えられていました。
神秘的で美しい月、というのは、作曲家へのインスピレーションにもなり、ドビュッシーのベルガマスク組曲の“月の光”などの名曲も生み出しています。

お月見は日本の独特の風習である、ということは否定しませんが、月を愛でる、というのは万国共通のような気がします。

ところが!

案外とおもしろいことを申しますと、実は平安時代の貴族たちは、「月を観る」のは“不吉”であると考えていたんです。
月を「観るべき日」というのが決まっていて、それ以外、月を直接見るのは忌むべきこととされていたんです。
月を観るのが「吉」な日が、旧暦の8月15日と、9月13日、つまり「十五夜」と「十三夜」なんです。
で、どちらか一方しか見ないのは「片見月」といって不吉とされ、両方見ないといけない、と、されていました。

ことさら「御月見」という儀式があるのは、ある特定の日に見るのが吉(その日以外に月を見るのが不吉)だからこそ生まれた習慣だったんですよ。

あんがいと軽く読み流してしまうのですが『竹取物語』の一節に、

 ある人の、月の顔観るは、忌むこと、制しけれども
 ともすれば、人間にも月を見ては、いみじく泣き給ふ

という話があります。

かぐや姫が、月を恋しく思って、夜に月が出るのを見ては物思いにふけるようになり、ある人が「月の顔を見るのは、不吉である」と言って制止しようとしても、人目を盗んで月を見てはげしく泣いていた、ということが記されています。

月を直接ながめることは「不吉」、だからふだんは月を見てはいけない、ということがわかる一節です。

でも、いろいろ文献を見ると、月を愛でる会をけっこう貴族たちはしています。
ですからついつい、月見はしょっちゅうしているかのような誤解を受けるのですが、ふだんの観月は、月を直接見るのではなく、池の水面に映っている月や、器に注いだ酒に映った月を眺める、という方法で月を直接見ずに楽しんでいたんです。ですからちょっと霞がかかったおぼろ月などは眺めてもよかったんですよね。

今、京都の東山におります。
さきほど、月をながめておりました。ふと、『平家物語』の巻五「月見」を思い出しました。
徳大寺実定が今様を歌います。

 古き都を来てみれば
 浅茅が原とぞ荒れにける
 月の光はくまなくて
 秋風のみぞ身にはしむ

月の光は、何百年たっても変わらずこの世を照らしますが、この世はめまぐるしく変わっております。
でも、月を愛でるとき、徳大寺実定のように、なぜか人は感傷的になるんですよね。

「変わる世」と「変わらぬ月の光」

この不変と変の対比は、歴史物語の中では月の光であぶり出されます。

そして『太平記』の足利直冬を思い出しました。

南北朝の時代、室町幕府が成立したものの、尊氏の弟の直義と執事の高師直が対立します。
足利直義が失脚したのは、9月の初め。
高師直は、直義の養子、足利直冬(実は尊氏の息子)を討とうとしました。
杉原利孝によって足利直冬がまさに討たれようとしたとき、磯部左近将監が危機一髪で救い出し、船で九州に脱出させました。
これが9月の13日。
足利直冬は、逃げ行く船の上で、今宵が十三夜であることに気づき、十三夜の月を愛でました。

 梓弓
 われこそあらめ
 引きつれて
 人にさへうき月を見せつる

「私だけでなく、家臣たちにも辛い思いをさせてしまって、この月を眺めさせることよ」

歴史物語では、いろいろな場面で月が描かれています。
歴史の節目。
人は月を見ていた、というより、月は人を見ていた、というところでしょうか。