鎌倉時代後半にようやく“産業”とよばれるべき経済活動が表面化します。
何を根拠にそう言うかと申しますと
余剰生産物
が生まれたからです。
草木灰などの肥料をはじめ、新しい農具、武士たちによる開墾(恩賞としてもらった土地の開発、安堵されている領地の再開発)が進んだからです。
それまでは「自給自足」の世界でした。
五人の家族がいれば五人分の衣食住を確保すればそれでOK。何も足さない、何も引かない世界の成立です。
ところが生産活動が進むと、五人しか家族がいないのに十人分作ってしまいます。
モノが余る…
どうしよう…
人が住む世界には必ず過不足があります。不足しているところに持って行って売れば(交換すれば)よいことになります。
余っている地域と足らない地域に距離がある場合、食物の場合だと腐敗するおそれがある。
物々交換だとちょっと難しい…
するといったん、
貨幣
に置き換えてそれを用いて売買すると便利…
野菜や穀物は体積も大きいですが、貨幣にすれば手に持って移動できる…
また、人には、誰が何といっても「差」があります。
天は人を平等になぞ創っておられません。
誰かは何かの能力を持っていて、誰かは何かの能力が欠けている…
能力の過不足もはっきりとしてきます。
農作業が得意な者もおれば、農具をつくったりするのが得意な者もいる、農業は嫌いだけど商売は好き、という者もいる…
分業
すればよいんですよ。
おれ、たくさん米作ったよ。
おれ、米あんまりないねん。でも、ええ農具、あるよ。
え、おれ、米たくさんあるから農具と交換してよ。
よいで。
あっちで米ない、言うてるやつおるで、おれが運んできてやるわ。
ありがとう。ついでに農具買ってきてくれへんかな?
よっしゃよっしゃ。
流通業
も生まれます。
モノの過不足、ヒトの過不足、モノの品質の過不足、ヒトの才能の過不足
それらを相互に補って世の中は成り立っていきます。
鎌倉、室町にかけて、こうして産業がどんどん発達していきます。
“儲け”は“格差”で生じます。
ある地域では足らない(価格上昇)、ある地域では余っている(価格低下)、余っているところから足りないところに持っていけば、その差額を得られます。
地方では生産が進み、モノが余り始める。
中央では人口が増え、モノが足りなくなる。
地方から中央へモノが運び込まれます。
ところが、どこかで必ず“停滞”が生まれます。
交換を繰り返すうちに、地域的過不足はもちろん、商品の品質や技術などの過不足も解消していくからです。
こうなると、ちょっとでも“格差”がある場所をみつけようとします。
都の周辺でも、さらに人が集まっている場所は無いものか…
寺院や交通の要所には人が集まります。
こうして門前町や港町で商業がさかんになるわけです。
そんな場所では“価格競争”が始まります。
同じモノが二つある…
どっちを買おうかな… となったら、当然、安いほうを人は買います。
売るために安くする…
ところが、これを続けると、商人たちはいずれ“共倒れ”となります。
だったら、価格競争は避けようよ、みんな同じ値段にしようよ。と、商人たちは考えるようになります。
こうして、人の集まる(儲かる)場所(寺社の門前や都会など)では同業者たちの「座」が生まれるようになります。
いわゆる独占企業連合を形成するわけです。座に入らないと、その商品を扱えない、そして値段は同じにする…
「価格競争」が終わると次は「品質競争」となります。同じ値段ならば質の差異で勝負する…
「座」というと、なんだか産業を停滞させる悪いもの、というイメージがありますが、そんなことは一面的な誤解です。きっと織田信長などが「楽市楽座」なんて政策をした、というイメージがあるので、「座は破壊されるべき中世の遺物」、みたいな扱いを受けていますが、価格競争を終わらせ、品質競争をもたらして中世の職人技術を発達させた、という側面も忘れてはいけないポイントなんですよ。
現在でも、たとえばデジタルカメラにせよ、携帯電話にせよ、価格競争はとっくに終了して、品質競争にうつり、実は、それすら終了して(画素数にせよ機能にせよ価格が同じなら品質もほぼ同じになっている)現在は
デザインや宣伝・広告
の競争に移っているでしょう?
どれ買っても、もはや同じなんです。だからこそ、他の“格差”を作り出して、儲けを生み出すことにする。
「個性」に合わせて選べます、いろいろなデザインがあります、だけではなく、同じ価格、同じ品質の商品でも、アイドルが宣伝している商品と、おっさんが説明している商品なら、たいてい前者のほうが売れますよね。
需要があるモノを売る
なんてのは時代遅れで、
需要をつくって売る
という段階になったのです。
室町後期から安土桃山、江戸時代にかけて、商品に“ネーム”がつくようになります。
これは○○産の××です。
これは○○由来の××です。
地方の特産品が生まれ、ブランドが確立されていきます。すると、そのブランドを宣伝する、というCMやコピーも誕生していく…
たとえば、安土桃山時代から江戸時代にかけて、やたらめったら茶道具が生産されます。
“需要”があったからです。
ところが、千利休は、これをブランド化することに成功しました。
わたしが選んだ商品です
というわけです。千利休が選んだもの、というのは、同じ茶碗でも、めちゃくちゃ高い値段で売れました。
そこから後年、「利休好み」なんてネームが付いて茶道具が販売されていくようになります。
江戸時代になると、
戦国大名の○○が使っていた茶道具
なんて「売り込み」で、どんどん茶器が販売されました。
安土桃山時代の武将たちが、信長や秀吉の影響を受けて、やたら茶道具をそろえていたような話が描かれ、ものすごい流行していたように説明されていますが、わたしはちょっと“盛られている”話だと思っているんですよ。
戦国時代を描いた歴史物語の多くは江戸時代につくられているんですが、そこで出てくるいろいろな商品って、当時の商売人たちが作家に働きかけて
「ちょっとこの商品の名前、出してくれませんかね」
「これってそういう由来のものだという形で書いてもらえませんかね」
みたいな感じでCM・広告されたものだとしたらとしたら、ちょっとゾっとしませんか?
大名や趣味人を「だます」ともでは言いませんが、高く売りつけるために由来や来歴がそこに添付される、というのはありえることだと思うんですよ。
これも歴史を考えるときに加味しなくてはならない“江戸フィルター”の一つだと思うんです。
ちょっとちょっと!
いつまでたっても『平家物語』が出てこないじゃないですか!
いったいどうなっているんです?!
と、イライラしておられる方も多いと思うんですよね。
実は『平家物語』も、室町時代と江戸時代の商業主義にうまく利用されていることがあるんですよ。
というのはですね…
(次回に続く)