占いとまじない 貴族と現代人をつなぐもの | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

貴族たちの生活…
というと雅で華やかな生活を営んでいる、と考えがちですが、現代の生活からみれば、ずいぶんと驚きの一面があります。
食生活、性生活、精神生活… とくに「心の世界」については、現代人からみれば滑稽なものが多いのですが…
まぁ、でも、1000年後、現在の習俗が「歴史」となったとき、ずいぶんと変な慣習をわたしたちもきっとクソまじめにやっていると笑われると思うんですよね。

 過去の常識は現在の非常識
 現在の常識は未来の非常識

というのは歴史が教えてくれるところ…

貴族たちの精神生活をちょっと覗いてみましょうか。 
よく引用されるのが藤原師輔『九条殿遺戒』です。

起床。招福のために、自分が生まれた時に属すると考えられる「星」の名前を七回唱える。

朝って、一日の始まりですから、一日の運勢、気になりますよね。朝のテレビ番組の定番、

 「今日の星占い」

をみて、さぁ、学校に行こう、とか、仕事に向かおう、という人もいるので、この点、平安貴族も現代人も、あんまり変わらないかもしれません。

さて、歯磨き、の習慣は平安時代でもあります。
歯ブラシはありません。何を使うかというと、

 楊枝(ようじ)

ですね。つまようじ、というのは古今東西存在していて、古代ローマ人も金属製のつまようじなどを使用していました。(つまようじ生産日本一の河内長野市には、“つまようじ博物館”とでもいうべき「つまようじ資料室」(株式会社広栄社)があります。是非、行ってみてください。)

その後、手洗いをして、神仏を祈ります。生まれ星を唱するほうが神仏より先、というのがおもしろいですね。

それから昨日の日記をつけます。平安貴族は、日記を一日の終わりにつけるのではなく、翌朝に昨日のできごとを書きました。
「一日」の時間間隔がちょっと現代と異なり、日の出をもって次の日が始まる、という感覚の時代でしたので、朝に「前日」の日記を書くのに違和感が少なかったと思います。

朝食はたいていは

 お粥

でした。「朝粥」というのはもともとは中国の慣習だったようで、奈良時代からの貴族の朝食だったようです。
そして髪を整えてから

 爪切り

です。「爪」には霊力があったと思われていました。洋の東西を問わず「爪」とか「髪」には霊力、呪力があったとされていて、西洋では悪魔が食べる、というものでした(魂を食べるのと同じ)。
その点、古代の日本でも、爪や髪は呪術によく使用されるもので、うっかり自分の爪や髪を相手に渡すと自分の魂を譲ってしまうのと同じで、爪と髪には自分の「個人情報」が詰まっていると思われていたようです。
でも、おもしろいですよね。DNA鑑定には爪や髪が用いられるのですから、あんがいと「自分の魂」が入っている、というのは正しいことかもしれません。

「爪切り」は、安易に切りません。

 丑の日は手の爪
 寅の日は足の爪

と切る日まできめられていました。丑は土の性、寅は火の性の日です。土にもどす、火で燃やす、ということで「処分」しました。

この時代は電気照明器具などありません。日が沈むと基本的には真っ暗…
明るいうちに日常生活の大部分をすませます。

 入浴

も、精神生活の大切な部分。肉体の浄化よりも精神の浄化という意味が濃い時代ですから、毎日は入りません。

「日を選んで」だいたい5日に1回くらいのペースでした。

 一日に入ると短命になるから避ける
 八日に入ると長命になるから吉
十八日に入るとものを盗まれるから避ける
午の日は女は入ってはいけない。愛嬌を失うから。
亥の日は男は入ってはいけない。屈辱的なことを受けるから。

もう、なんじゃこりゃ、という理由がいっぱいあります。

こんなことを大真面目にやっていたものだから、当時の貴族たちは、精神生活こそが日常生活だと考えていたのでしょう。

藤原保忠は、菅原道真の怨霊をおそれ、「くびらの大将」と僧が誦経のときに言った言葉を「くびられる(首をしめられて殺される)」と聞き間違えてショック死しました。
占いで、かつて天皇が死んだことがある卦が出たのをみた藤原道長は、ショックで泣いてしまい、その理由を知った一条天皇は「え、おれ、死ぬの…」と思い込んでほんとうに死んでしまいました。
生活の一部、いやそのものが占いやまじないであった貴族たちにしてみれば、現代で言えば、医師から余命宣告されたのと等しい(精神的なものであるがゆえにもっとインパクトがあったかも)意味があったようです。

さて、ちょっとおもしろい占いを紹介します。みなさんもやってみますか?

 夕占

というのがあります。「ゆうけ」と読みます。

なに、いたって簡単な方法ですよ。

夕方、人通りの多い場所、交差点に立って、行き交う人たちの会話をよ~く聞くのです。
ただそれだけ。
天は、人の口をかりて意を告げる、という考えかたがありました。
くだらぬ噂話、何気ない会話… そこから「何か天の意が漏れ聞こえる」と判断するのです。

う~ん… なんだかネットの掲示板をながめて一喜一憂している現代人と同じような感じです。

さて、この時代「占い」は当たりました。というか、占いやまじないを利用すると、人の動きが手に取るようにわかります。

だって、占いのとーりに人は動いているわけですから、相手の生まれ月、日などがわかると、その人はそれに合わせて行動しているからです。

 今日は風呂は入らない
 今日は家にこもっている
 今日はきっとこういうことをする。

それがわかれば、その人を「操る」「利用する」場合によっては殺してしまう、ということも可能なんですよね。貴族たちが生年月日、姓名を秘密にするのも当然でした。

平安貴族に「ねぇ、あなたの星座、なに?」なんてのは絶対聞いてはいけないタブーです。

さて、さきほどの「夕占」です。
辻に行けば、夕占をしている男や女は、すぐわかりました。
手のこんだことを考えるならば、その人を「動かす」「操る」ことが簡単にできるのがわかるでしょう。エキストラを雇って辻を往来させ、夕占をしている人に“情報”を与えていけばよいんです。きっとその人はそれが“天の意”だと思ってそのように行動します。

ネットの世界のステルスマーケティングと、同じということになりますね。