いつの時代でも(というかひょっとしたら『源氏物語』が源流なのかもしれませんが)、“禁断の恋”というのは恋愛小説のテーマに欠かせないものとなっています。
光源氏自身、三つの「密通」を経験しています。
相手は、人妻、他人の婚約者、そして義母…
今から考えると、かなりスキャンダラスなものです。
日本にはかつて姦通罪、というのがありました。明治時代の刑法が戦前まではずっと使用されてきました。確か、お隣の韓国では現在でも存在しているはずです。(ただ、日本のそれは、妻の不義を罰するものですが韓国の場合は、妻・夫いずれが不義を働いても処罰の対象となっています。)
最初の密通は、光源氏が十七歳のとき…
お相手は、空蝉。
受領階級(地方の長官)の人妻でした。方違えで訪れた家にいた人妻に声をかけ、一夜をともにする。
空蝉を抱きかかえて寝所に連れて行こうとするとき、侍女に見つかるのですが、「明日の朝にこの人を迎えに来なさい」と言ってのけてしまう。
侍女はおろおろするばかりで、はい、としか言いようがありません。
理由は… 身分が違い過ぎるからですね。臣籍に降下しているとはいえ、光源氏は帝の皇子。わずか十七歳で中将ですから。
ただ、これはあきらかに姦通ということになります。
当時の法律ではどういう「罪」になるのか… そもそも姦通罪が平安時代にあったのか…
養老律には姦通の罪が明記されています。よって法的には有罪。
ですが… この養老律の姦通罪は、ほとんど適用された形跡がありません。
まして身分の高い貴族たちの中で、しかも合意があれば、どうやらこの法律は「無視」されていたような感じです。
そもそも律令は、最初は中国の制度をそのまま日本に移植したもので、使用しているうちに、日本の慣習などに適合しないことがわかってきました。
とくに家族制度に関するところでは、まったく奈良・平安の貴族たちの生活とは整合しない部分があったのです。
男が女の家に通って関係を持つ。
そうして「妻」となっても妻は実家で暮らす。
子が生まれたら、その子は妻の実家で育つ。
つまり、極端に言うと、相手が誰であろうが、娘に生まれた子は、その家の子、として育つわけです。
密通を罪とするのは、男系を重視する社会(日本の場合は「家」の制度を重視する武家社会)になってからのことで、武家では、その家を男子が継ぐことから、妻が夫以外の子を為すと、その家系に混乱をきたすからです。
律令制度の元祖の古代中国もそうで、律には姦通罪が明記されていたわけです。
(武家社会となった江戸時代でも、一見男尊女卑のような気がしますが、結婚してからも妻の財産は妻のもので、離婚すれば妻は自分のもともとの財産を持って帰ってしまいました。この点、女系社会の伝統は武家の世になってからも実質的には継承されていたといえます。)
では、貴族社会の女系・母系社会では姦通罪は、あってなきもの、であったので、『源氏物語』の「帚木」の場面は、読者にとってはスキャンダラスな「密通」ではなかったのでしょうか?
国文系の研究者のみなさんは、平安時代の貴族たちには恋愛のタブーがあまりなく、おおらかであった、という立場の方々が多いようです。
よって、空蝉が光源氏と一夜をともにした後、光源氏との関係を“拒否”し続けたのは、「人妻」であるのに関係を続けることへの罪悪感からではなく、身分の差からくる「わたしにはあなたさまとは釣り合いません」という気持ちからである、と、説明されるケースが多いようです。
実際、わたしが学生時代、一般教養で受けた『源氏物語』の講義では、教授がそのような話をされていた記憶があります。
ただ、空蝉は「わたしが実家にいるときに光源氏さまにお声をかけていただいていればどれほどうれしかったことか…」と述べているんですよね。
身分の違いが大きいことは否定しませんが、やっぱり人妻であるのに他の男と関係していることに後ろめたさを感じてたんではないかな、と、思うんですよ。
法律で禁止されているから不倫しないのか。
道徳に反するから不倫しないのか。
法律や道徳(律令や儒学)という「後天的」「人為的」なものを取り去って、残った純粋な気持ちでも「人妻だから他の男とは関係しない」という気持ちを持つ人はあるような気がするんですが…
法律で禁止されていなくても道徳的に問題なくても、自分のポリシーに反することは人はしないと思うんですよ。
それはさておき…
申しましたように、基本的に古代の日本は、「婿取婚」であったことから、娘が生んだ子は実家で育ち、娘が生んだ子はその家の子である、という考え方があり、これが地方などにいくとけっこう顕著にあらわれている場合が多いのです。
地方に高貴な人物がやってくる。
地方の有力者の家に宿泊する。
すると当主は、自分の娘にその人物の「お世話」をさせる、ということがけっこうみられました。
それどころか、自分の妻にその人物の「お世話」をさせる、ということもあったんです。
受領、つまり地方官というのは、都では出世ができぬ(能力的な劣っているということではなく家柄として出世に限界がある)貴族たちが多く、「位よりも財」「財はあるけれど位がない」というケースがよくありました。
中央の高貴な人との「つながり」を持ち、場合によっては都にもどされて昇進、それがかなわずとも、財では得られぬ高貴な血を自らの家に流入することができる…
また中央の貴族でも、政争に敗れたり落ちぶれたりした場合は、中央との関係を深めたいと思っている地方の受領に娘をやって、その受領の「財」の援助を得ようとする者もいました。
空蝉の実家も、それなりの家柄だったようですが落ちぶれてしまい、「位は無いけれど金はある」受領の後妻となっていた、という設定でした。夫には先妻との間に自分とたいして齢の違わない娘もいる、というオマケ付きでしたが、地方の受領の家にはこういうパターンの妻たちがけっこういたようです。
実家が落ちぶれたために、位は低いが金持ちの受領の妻あるいは後妻となった女性、そしてそういう女性たちには、どこか「高貴な人」を憧れる気持ちがないとはいえない…
『源氏物語』は貴族の社会にかなり広がっていましたから、こういう女性たちの読者たちは、自分の境遇と照らし合わせて「帚木」の帖をどうなることかと気をもみながら読んでいたかもしれません。
しかし、空蝉は光源氏にはなびかない…
え~ なんてもったいないっ
わたしならOKなのにぃ~
と、歯がゆい思いをして読んでいた読者もいたかも…
で、あるとしたら、やはり紫式部は一流の作家ですね。
読者に「どうしてどうして」「あ~ じれったいっ」と思わせる演出はたいしたものだと言わねばなりません。