以前にコヤブ歴史堂で取り上げたものと、NHKの大河ドラマを比較したことがあります。
大河ドラマではあまりとりあげられないが、コヤブ歴史堂ではよくとりあげられるもの。
大河ドラマではよくとりあげられるが、コヤブ歴史堂ではあまりとりあげられないもの。
前者が「平安時代」で後者が「幕末・維新」です。
一般に歴史ファンの方々は「戦国」「幕末・維新」派が多く、「平安時代」派は少ないようです。
コヤブ歴史堂では、人気がある時代だけではなく、みなさんがあまり興味が無さそうな時代の人々にも積極的にスポットを当てていきたいな、と、思っています。
そんなわけで、次回は「平安貴族」のネタなのですが…
ちょっと貴族たちの生活がわかりやすくなるように、いろいろな「貴族の周辺」の話をしていきたいと思っています。
まずは「牛車」。
貴族たちにとっては、「自動車」みたいなもんです。
たかが、乗り物、と、思うなかれ。
わざわざ、『延喜式』の中で、「牛車の作法」が規定されているくらい、牛車は特別な乗り物でした。
まず、貴族たちが牛にひかれて都を移動している様をみるだけで、いろいろなことがわかります。
まず、貴族が牛車に乗っていると、その両脇に「付き人」が並びます。この付き人のことを
車副
「くるまぞひ」と言います。おもしろいことに車副は「女性が乗っている」ときのほうが人数が多いのが特徴です。
親王や左右大臣ですら14人なのですが、天皇の娘さまには20人が付きます。
后が22人、女御が16人、更衣には10人となっています。
「造り」もなかなか豪華で、大納言以上だと「黄金造り」といって金箔キラキラの牛車に乗ることが認められていました。
牛車は都を往来するときに制限はありませんでしたが、大内裏への乗り入れは禁止。
三位以上の者でも親王でも、宮城門前で降りて徒歩で中に入って行かなくてはなりませんでした。
ただ、例外があり、それが
牛車の宣旨
と呼ばれるものです。勅許(天皇の許可)があれば、大内裏の中の宮門の前まで牛車で乗り付けてもよいことになっていました。
(他にも輦車(てぐるま)という乗り物があり、これは牛車の「牛」が「人」になっているようなもので、これも天皇の勅許(輦車の宣旨)が必要。)
たしか『源氏物語』の中で、三十そこそこの光源氏がこの「牛車の宣旨」をもらい、冷泉帝から牛車で参内・退出するように命じられる、という場面があります。
四十歳未満の者は、原則、牛車の宣旨を受けても辞退するのが慣例なのですが、さすがは光源氏。
牛車で宮門に乗り付けました。
牛車の宣旨は長く天皇に仕えた「老臣」を「いたわる」目的で出されるのがフツーです。
実際は四十歳未満の者が牛車の宣旨を受けた例は少なかったはずです。
さて、以前にコヤブ歴史堂で、「源義仲」を取り上げたときに、牛車の乗り方がおそまつで、貴族にバカにされちゃう話を紹介しました。
牛車の乗り降りって、どういうことになっていたのでしょうか…
実は高校生などが学校で使う「古典の便覧」(『新国語便覧』第一学習社)にも書かれています。
後から乗って前から降りる
です。番組では『平家物語』の「猫間」の場面を採用させていただきましたが、ここで義仲が「牛車の後から乗って後から降りて」陰でバカにされていた、というエピソードがありました。
慣習を知らない田舎者、と、笑われることになったわけです。
ちょっと滑稽な絵だったでしょうね。乗り降りする時には榻(しじ)という踏み台を用意するのですが、従者たちは前から降りると思って前に榻を用意して跪いて待っている… あれ? 降りてこないな、と、思ったら、後ろから飛び降りちゃった… ええぇ~ マジですかっ と、なったんだと思います。
そんな義仲さんですから、きっと牛車の車内の作法も知らなかったと思います。
牛車内では着座の場所まで「序列」がありました。
身分が高い人から「前・右→前・左→後・左→後・右」という反時計回りに身分の高い者順に着座していきます。
身分の高い者が最初に乗って、最初に降りる、ということになるわけですね。
以下は蛇足ですが…
さて、知らない人もいるかもしれませんが、天皇は牛車に乗りません。
輦輿
といって、人が担ぐ「輿」にお乗りになられます。
平治の乱のときでした。
藤原信頼・源義朝らは後白河法皇や二条天皇の身柄を確保していました。ここから、二条天皇を「救出」するときに、天皇を女装させ、「女性用の乗り物」に乗せて脱出を図る、という場面があるのですが、この「女性用の乗り物」が「牛車」でした。
『平治物語絵巻』にも「二条帝六波羅行幸」の絵がありますが牛車にお乗りになっておられるのがわかります。
当時の習慣ですと、「天皇は牛車に乗らない」という先入観があります。ましてや女性の乗る牛車に天皇が乗っておられる、とは、警固の兵たちも気づかなかったことでしょう。
女装していた、というより、当時の慣習を破って天皇を牛車に載せているからこそこの脱出は成功したのだと思います。