幸村は呆然とした…
和議だと?
これはいったい何なのだ…
悔しい、のでもない、馬鹿げている、とも思わない… 憤りがあるのでもない…
あたかも芸術家が自分の心血を注いで創り上げた作品が無視されたような、何とも言えない寂寥を幸村は感じていた。
どうだ、と見せた芸術作品が無視されたような、というか、その作品を理解できる感性を持ち合わせている者が身近に誰もいない… 彼はそんな思いでいたのかもしれない。
皮肉なことに彼の“作品”の理解者は、敵側の徳川家康しかいなかったのだ。
が、しかし、彼は絶望したのではなかった。
もともと彼の頭の中に「この戦いの後」があったわけでは、正直、ないのである。
天下がすでに定まろうとしている。
豊臣家が、過去の栄光にしがみついて、いかに淀殿がヒステリックに叫んでも、もはや豊臣の天下にもどるわけがないのだ。
で、あるのに…
なぜ、わたしは戦うのだ…
もはやこれは豊臣の戦いではない、私の戦いだ。
芸術家が作品を世に残すように、「幸村の戦さ」を世に残す…
幸村は、死して名を残す、という道を選んだのである。
次々と埋められていく濠を眺めながら、幸村の頭の中には「次なる作品」が描かれていた。
そしてもう一人。
次々と埋められていく濠を眺めながら、静かに笑うものがいた。
徳川家康である。
和議では、外堀は徳川が、内堀は豊臣が、それぞれ埋める、ということが取り決められていたはずであった。
そうはいかぬ。
濠の埋め立てをできるだけ長引かせようというのであろうが…
見よ、内堀を埋めるのに手間取っておられるようだ。
外堀を埋めた後、内堀を埋めることをお手伝い申し上げよ。
かくして兵士の流血による戦さによってではなく、ただの土木工事によって勝敗が決せられようとしていた。
いや、勝敗は決したのである。
翌年、徳川家康は、再び、大坂征討の大軍を派遣した。
しかし、そこには、「城」はなかった…
包囲するべき城も、守って籠るべき城ももはやなかったのだ。
兵力差は歴然としており、戦闘、というより、集団的虐殺が始まろうとしていた。
幸村の率いる真田軍団は、その戦乱の中で、ぴくりとも動かなかった。
黒い鎧に緋色の直垂に身を固めたその一隊は、誰一人声を出さず、馬すら息を凝らして幸村の出撃の合図を待っているかのようであった。
幸村はたった一点を見つめて無言で馬を駆って飛び出した。
彼の率いる軍団は、幸村の体の一部のように、何のためらいもなく彼につき従って一斉に出撃したのである…
徳川家康の首一つを求めて、家康の本陣にむかって、なさがら“黒き疾風”の如く、他の何ものにも目もくれず、駆けて駆けて駆け抜けた…
真田幸村戦死の地
大坂は天王寺の安居神社。
ここにこう記された碑が立てられている。
乱戦の中、彼はここで斃れたどうか…
いずれにせよ、彼の死とともに、戦国武将の時代は終わりを告げたのである。
(完)