今回も軽~くお読みください。
史実としてあやしい逸話も混在しているので。
まともな業績はまたあらためて紹介いたしますので。
なぜか、やりすぎる偶数代の足利将軍たち…
8代義政。
これは小学校の教科書にも出てくる有名人。応仁の乱や銀閣、東山文化の担い手として有名すぎる人物です。でも、あんがいと知られていないのですが、銀閣の完成を見ずに彼は死んでいます。それとあまり言われないのですが、6代義教の暗殺で中断していた日明貿易を再開したのは彼なんです。よってお金はたんまりとあり、応仁の乱の印象が強いので混乱期のイメージが強いですが、財政的にはかなり安定していたんです。さてさて、かれのやりすぎは…
「名前やりすぎやろっ」というところ。偏諱、といって、貴人の名前を一字もらう、という習慣が武士の間にも鎌倉時代から広がりました。家来などにすれば栄誉なこと。偏諱が多いということは、それだけ権勢が強かったともいえますし、政略的に、いろいろ有力者のバランスをとっていた証拠でもあります。たいていは20~40人くらいで、義満ですからその数は90ほど… 義政さんはダントツの120人超え… 和製ゴッドファーザーでした。
10代義稙
京都を留守にしている間にクーデターが起こり、河内に逃げる… 投降して京にもどるも竜安寺に幽閉… さらに小豆島に流罪になりそうになったので逃亡… 自分を支援する守護大名畠山政長の領地、越中国(富山県)へ逃げる… さには越前国へ引っ越しし、近江坂本まで兵を進めて京都をめざすが敗退。またまた河内へ逃亡。ここでも細川政元に敗れて大内氏をたよって周防国(山口県)に引っ越し… 細川政元が暗殺されたことをきっかけに西国の諸大名の支援を受けて京都に帰還。やっと将軍にもどれたと思うと細川・大内・畠山の有力守護とケンカして近江国(滋賀県)の甲賀へ引っ越し。その後和解して京都へもどる… ところが守護大名の内紛から、和泉国(大阪府)堺に逃げる…
さらに船で淡路島へ逃亡。最後は阿波国(徳島県)に引っ越しして、そしてそこで死去… 逃げすぎ引っ越しのやり過ぎ、という将軍でした。
12代義晴
戦う征夷大将軍、リホーム大好きの将軍でした。とにかく築城好き、お城の修理が大好き。京都の東山にある如意ヶ岳(大文字の送り火の山)に城を築いて、反対勢力とつねに戦い続けました。そしてそこにつくった城が中尾城。かなり気に入ったみたいで、壁の強度をかえる、敷き詰める砂利などにもこだわり、『万松院殿穴太記』によると、普請のときには、自ら監督・指揮したくらい。とくに最新兵器の鉄砲にはかなりのこだわりをみせ、鉄砲を使用することを考えた城造りをしたことで有名です。何度も何度も中尾城に手を入れ作り変え… リホームしすぎやろっ
14代義栄
松永久秀や三好三人衆の傀儡で、一度も京都に入ったことがない「室町」幕府の将軍です。かつがれた後は、用無しとばかりに捨てられる… 室町幕府の将軍でありながら、没月日すらよくわからない… 9月13日、9月30日、10月1日、10月8日、10月20日、10月22日など諸説さまざま… それどころか死んだ場所すら、阿波・淡路・摂津などいったいどこで死んだかもわからない… 命日ありすぎ、死んだ場所ありすぎ、という将軍でした。