足利のやりすぎた将軍たち 前編 | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

今回は軽~くお読みください。
史実としてもあやしい“逸話”も混在しているので。
まともな業績はまたあらためてご紹介いたしますので。

足利将軍のうち、なぜか偶数代の方々は、ちょっとやりすぎた方が多いようです。

2代義詮。
この方、文字通り、ヤリすぎました。
正室は渋川幸子、側室は紀良子。良子さんが義満のお母さんになります。
正室との間の子はわずか5才で死去したので、後継ぎがほしいあまり、公家の家に出かけたときは、年ごろの娘がいたら手を出し、天皇のところへ出かけたときは、仕える女官たちに手を出し…
にゃんたのマル秘ファイルでおなじみ『後愚昧記』では、鼻血を出しすぎて死んでしまった、ということです。

4代義持。
番組でも取り上げた義持さん。
父の「事績」を消し去りたいのか、金閣をのぞいて周辺の建物はすべて破棄。
日明貿易もやめちゃうし、ヒゲもモミアゲも伸ばしっぱなし(ヒゲ・モミアゲは甲のひもがほとげにくくするために武将がはやしたので、父とは違い、公家にはなじまぬっ という彼の決意があるのかも)、父が能楽なら、おれは田楽だっ と、保護する芸能も変えちゃう。位を譲った子、義量はわずか19才で死去。『満済記』によると歴代将軍の中では、寺社への参拝数がもっとも多く(とくに北野天満宮)ほぼ毎日どこかに… お参りしすぎやろっ 最後はおしりにできたデキモノをかきむしりすぎて死んでしまう…

6代義教
いうまでもなく「万人恐怖」の将軍。義持の遺言で「くじびき」で将軍の位が決定。(このあたりの経緯は拙著『超軽っ日本史』を是非お読みください。)
儀式の最中、笑ってしまった貴族は、「おれを笑ったな!」と言われて領地没収! 自分の行列が混雑にまきこまれて前に進めなくなった原因が闘鶏の見物人だったことを知り、ニワトリを京都市内からすべて追放! 出家していたとき、自分をばかにしていた義理の兄を、将軍になったとたんに処罰! 妻に子が産まれたとき、その子が将軍になると考えた人が、妻の親戚も出世すると思ってお祝いに訪問すると、「おれはまだ何も決めてない!」とキレて、その客をみんな処罰! 将軍の噂を宴席でした貴族は「へんな噂流したなっ」と言われて流罪! 酒のつぎ方が下手くそな侍女の髪を切って尼にしてしまう! 説教しようとした僧に「二度と口きくな!」と舌を切る! 庭の梅の枝が折れても処罰、料理が口に合わないと処罰… やりすぎ記録、第一位ですね。

(次回に続く)次回、義政から。