中学三年生の授業で、江戸時代の文化の話をします。
だいたい中学生には、元禄文化と化政文化を教えればよいのですが、本校は六年一貫教育の学校ですので、一部高校の日本史の内容を取り入れ、桃山文化と寛永期の文化を説明した上で(寛永期の文化と元禄文化を区別して)、元禄・化政の二大文化の話をしていきます。
わたしは文化史の授業のときは、だいたい以下の話をしています。
・文化は水と同じで高いところから低いところへと流れる。
これは、古代の日本の文化の話をするときによく言うことです。
古墳文化や飛鳥文化、白鳳文化も天平文化も、中国からの影響を受けますから、すぐれた文化が日本に流入してくる…
「下流にいると、上流のすぐれた文化がみな伝わって層のように重なるんだよ。」
と、日本の文化が中国や朝鮮だけでなく、シルクロードを通じて伝わった西方の文化の影響を受けていることを具体的な例(正倉院の宝物はもちろん、北魏や南梁などの様式の仏像、新羅の仏像など)をとりあげて説明したりもします。
・文化は、音叉のように、同じ響きに共鳴して伝わる。
という話もします。
安土桃山時代、というのは、脱仏教の文化です。それまでの文化は何らかの形で仏教の影響を受けてきました。
だって小学生や中学生が習うそれ以前の文化は、たいていは、建築物は寺院、彫刻は仏像、絵画も宗教絵画、というものが多数を占めているでしょ?
桃山文化から、突然に人間味をおびてくる。
新興の商人、新興の大名、新しい力が民衆の中からも湧き上がりつつある時代…
こういうときは、「そういう空気」を持つ文化と共鳴して伝わるわけです。
天守閣は、南蛮人の伝えた教会建築の影響を受けますが、天上の神に近づこうとする力と、当時の上昇志向の気持ちとが共鳴し合って、天下人が、地上に君臨する象徴として(支配の力を示すものとして)城郭建築の中心となりました。
千利休も、キリスト教の聖杯の儀式をみて、「いただいて」「茶碗をまわして」飲む、という茶道の作法をつくり出しました。
キリスト教の厳かな精神世界の深さ、千利休が共鳴して茶道に取り入れたのです。
さてさて、そして元禄文化と化政文化…
もちろん、一方が5代綱吉の時代、一方が11代家斉の時代、一方が上方で、一方が江戸、という「対比的」説明もいたしますが、わたしは、
「で」の文化と「を」の文化の違いがある、と、思っているんです。
たとえば、近松門左衛門。
かれは「心中物」と呼ばれる作品を残しています。
この世で結ばれぬ二人の男女が、せめてあの世で結ばれましょう、と、手に手をとって死んでいく…
では、なぜ「この世」では結ばれぬのか?
身分の差やしきたりの差、家と家の問題などなど、当時の封建道徳が二人の愛を引き裂いているんですよね。
つまり、近松門左衛門は、心中物「を」書きたかったのではなく、心中物「で」封建道徳を批判したかったのです。
その作品「で」、何か“普遍的課題”を人々に投げかけている、という「文化」なんですよ。
彼の作品の中には、その作品「で」徳川と豊臣の対立と、豊臣の滅亡を描いているよね、幕府批判しているよな、ということがわかる作品もあります。
一言も、幕府の批判や徳川などの言葉を用いず、「批判」したり「評価」したりしている…
絵画もそうです。女性「で」女性の美しさを伝える… 女性が目的ではなく、それによって日本の美や当時の人々の美意識を伝えようとしている作品が多い…
これに対して、化政期の文化はあきらかに「を」の文化なのです。
その作品自体「を」読者や見る者に味わってほしい、楽しんでほしい、悲しんでほしい…
十返舎一九の『東海道中膝栗毛』、上田秋成の『雨月物語』、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』などは、作品そのもの「を」楽しむという性質が濃厚です。
で、あるがゆえに、精神性が高いとか人間性を描いている、という評が元禄文化の説明にみられ、享楽的で庶民的という評が化政文化の説明にみられるのです。
絵画も小説も、男女の愛そのもの「を」描く… エロであったりタブーであったり…
木版印刷術の普及、紙などの大量生産、社会的分業の進展によって、町人の収入が増え、文化を楽しめるようになり、よってますます「売れる作品」が好まれるようになり、業者も作家に「売れる」作品を要求していく…
文化の庶民化と享楽化を批判している話ではありません。
人口の多数をしめる人々が安価に手に入れられる文物が広がると、さらにそれを普及するための技術が開発されて、商品開発が進んでいくことも確かです。
コヤブ歴史堂で、“江戸のインテリジェンス”と題してずいぶんと低俗な話をとりあげましたが、それもまた人々の歴史を語る上で、目をそむけてはいけないところなんです。
「ひろくうすく」の文化は、経済を活性化させます。
明白に、元禄期よりも化政期のほうが日本の経済規模は拡大していました。
文化の誕生に必要な三要素は、
心の余裕 お金の余裕 時間の余裕
です。
この「三つの余裕」が、どの階層にまで広がるかによって、文化の性質が変わっていきます。
貴族→武士→上流市民→庶民
江戸時代にむけて、「歴史」を「国民全体」で動かす時代へとむかっていったといえそうです。