学校の授業から… 商業の復活 | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

中学2年生の授業で、世界史の「中世ヨーロッパ史」を説明しています。
前にも申しましたように、一部高校内容の世界史が含まれていて、

11世紀ごろ、ヨーロッパでは、「商業が復活した」という言い方をします。
どういうことか、ざつくりと説明しますと…

1~4世紀まで、ローマ帝国という「一つの世界」がありました。
スペインもフランスもイタリアも北アフリカも“ローマ”だったわけです。

「一つの世界」ですから、大きな広い世界の中で暮らし、交易や取引の規模もたいへん大きなものでした。
「道」で結ばれ、帝国が治安も保障し、商人たちや人々は安心して取引と生活を営んでいました。

しかし、4世紀になると、ローマ帝国は東西に分裂します。
そして西の世界にはゲルマン人たちが入ってきました。
西ヨーロッパには、ゲルマン人の小国家が乱立し、とたんに治安も悪くなり、遠隔地との取り引きや交易は事実上できなくなっていきました。

8世紀、ようやくフランク王国が西ヨーロッパを統一したかと思ったらすぐにまた、東・中・西の三つに分裂…
9世紀には、新たにノルマン人(ヴァイキング)が侵入して沿岸部(交易の拠点)をおそい、かつては「一つ」だった商業圏はズタズタに分断されてしまいました。

戦乱の中で、王は手がらを立てた者に土地を与えて忠誠を約束させて諸侯とします。諸侯はまた、手がらを立てた自分の家来にも土地を与えて騎士とします。

 王-諸侯-騎士

という封建制度とその身分が生まれるようになりました。
王国といっても実際は、諸侯の領地(荘園)が各地に分立し、町は、戦乱と外敵に備えて城壁を築きます。
ヨーロッパの地名に、「~ブルク」や「~シュタット」というのが多いのは、これらが「城」や「壁で囲まれた」という意味があるからです。

それぞれが「閉じられた世界」になってしまいました。
外の世界とは、できるだけつきあわないようになってしまう…
治安も悪く、交易にも出られません。

『進撃の巨人』というコミックがありますが、まさに外敵に備えて城を築いて、内なる世界で暮らしている、というような感じになってしまいました。

「大きな一つの世界」から「小さな閉じられた世界」になってしまいました。

経済的には逆行です。
ローマの時代には、貨幣もつくられ、遠隔地貿易がさかんでしたが、中世ヨーロッパでは、閉じられた世界の中での自給自足がおこなわれ、貨幣なども使われなくなってしまいました。

ところが10世紀に入ると、戦乱もおさまり、外敵の侵入も防がれ、ようやく治安も回復されるようになりました。
諸侯が自立して政治的・社会的に安定してくると、農業生産も高まり、人口も増え、農作物や手工業品が「余る」ようになりました。

すると「交易」が始まります。
「閉じられた世界」はそれぞれに特色ある産業を成長させていました。

「うちは小麦をたくさんつくっている」
「うちは果実をたくさんつくっている」
「うちはワインやビールがたくさんある」
「うちはブタやウシをたくさん飼っている」

自分のところに無くて隣に有るものは買う。
自分のところに有って隣に無いものは売る。

「じゃ、おれが運んでやるわ」という運送業も登場することになります。

それから、こういう状態が生まれると、「情報」を握っている者が儲けることができるようになりますよね。

「あっちでは果実が不足していて高値だ」
「こっちでは果実が余っていて安値だ」

この「情報」を知っていると、同じ果実を一方で手に入れて、一方で売れば、その差額で利益が得られる。
こうしてかつての「閉じられた世界」という点と点が結ばれて、交易ネットワークが広がっていきます。

 生産する農民 情報を握っている商人

いずれも中世ヨーロッパを彩る人たちです。

こうして「商業の復活」が実現しました。

ところが…
商業は「大きな一つの世界」になりつつあるのに、政治は分断されたままなんです。

たとえばフランス王国、というのはあるのだけれども、実際は地域には諸侯がいて、それぞれ政治的に閉じられた世界が複数存在して分断されています。

商人たちにとっては、こんなに「不便な」ことはありません。
その領地を通過するだけで通行税をとられたり、そういう領地に滞在するたびに税が加算されていく…

 ああ、もう、諸侯じゃま! だれか、こんな細かい分立なくして一つにしてくれないかなぁ~

「統一」への期待感の高まりです。

どうです? これが後に、一つの世界に統一しようとする“力”、後に「絶対王政」を生み出す背景になっていたのがわかりますか?

実際、フランスでは、国王に、この分断された世界を統一させるために、商人たちがフランス王を支援していったのですよ。
ジャク=クールなどの大商人は、シャルル7世にフランスを統一させて「一つの商業圏」をつくらせて事業を拡大していきました。

さてさて、ふと思ったのですが…

「この考え方」を、日本の戦国時代から安土・桃山時代に適用してみたらおもしろいと思いませんか?

室町時代に、せっかく産業・商業が発達して「一つの世界」になっていたのに、戦国時代に入って、いろいろな大名の「閉じられた世界」に分断されてしまった…
諸大名は、地域の特色を生かした産業を発達させて、再び、これらの商品・農産物が日本中で取り引きされるようになっていった…

ところが…
商業は「大きな一つの世界」になりつつあるのに、政治は分断していたままなんです。

商人たちにとっては、こんなに「不便な」ことはありません。
その領地を通過するだけで通行税をとられたり、そういう領地に滞在するたびに税が加算されていく…

 ああ、もう、諸大名じゃま! だれか、こんな細かい分立なくして一つにしてくれないかなぁ~

「統一」への期待感の高まりです。

そして織田信長の登場です。
最初は、堺の“利”をねらう他の大名たちと同じかと思って抵抗していたが、楽市楽座はおこなうし、関所は廃止していく…

「ひょっとしたら、信長に天下を統一させたほうが、一つの商業圏ができるのではないか…」

と、商人たちは途中から考え方を変えたとしたらどうでしょう。
堺は破壊されることなく、むしろ、信長のために積極的に支援するように方針を転換していきます。
そしてそれは豊臣秀吉に後継されました。

信長も秀吉も、商業を「発達させた」と説明される場合がありますが、あんがいと逆で、信長も秀吉も、商人たちによって(商業によって)「統一させられた」と考えてみてもおもしろいですね。

商人たちは、きっと、「信長や秀吉に天下をとらせてやったのだ」と思っていたのかもしれません。

 その鉄砲や刀や兵糧、だれが用意してやったと思ってんの?

というわけです。