昔話と農村家内工業 | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

中学三年生の授業で、江戸時代の産業の話をしています。

めちゃくちゃ強引な比喩なのですが、わたしは以下の話をよく授業でしています。

「みんなは、“笠地蔵”の話を知っているかな?」

というと、たいていの子は知っています。どんなあらすじか、と問うと、これまたみんなよく知っている…

 昔々あるところに、貧しい暮らしをしている老夫婦がいた。
 年末になっても正月を迎えるのに必要なものがそろっていない。

「あるところ」というのはおそらく東北。東北地方にこの伝承が広く残っているからです。
「正月を迎えるのに必要なもの」という表現があるように、昔は新年を迎える儀式、ということが一般庶民、農民の中でも浸透していて、「貧しい暮らし」をしていても、それをしない、という選択肢が無いことがわかります。

「お正月も迎えられないのか…」

というのが、貧しいさを強調できる表現であるわけです。

話中では、「餅」を用意できない、ということになっています。
江戸時代は、米は年貢として出されるので、貧農ではなかなか米が手に入らない。
ハレ(非日常)の日は加工品、ケ(日常)の日は加工しないものを食べる、というのがこの時代の習慣です。
餅・団子・練り物などは、ハレの日の、特別な日にしか用意しませんでした。

おじいさんは、「笠」を作って町に売りに行き、餅を買うお金を得ようとしましたが、笠はまったく売れませんでした。

農閑期になると、農作物が無いため、日々の糧が不足することがあり、それを補うために、何らかの“手工業製品”を町に売りに行く“商品”とする「副業」をおこなう農家が出現します。

これが

 「農村家内工業」

の始まりです。

 吹雪になりそうだったので、急いで家に帰ることにする。
 すると、お地蔵さんが七体おわすことに気がついた。
 そこでお地蔵さんに、笠をさしあげる、ということにした。

町と村の境界は、異質の世界の接点、ということで、この時代にはお地蔵さんや祠などが祀られている場合が多いのです。
「笠」は江戸時代、だいたい五つで1セット=「一山」で行商人たちは持ち歩きます。
おそらく、この時、おじいさんは「一山」の笠を持っていたのでしょう。五つをお地蔵さんにかぶせ、残り二体のうち、一体に自分の笠、もう一体に手ぬぐいをかぶせて帰宅します。

で、話のオチは、お地蔵さんたちが夜中にゾロゾロやってきて、正月を迎えるのに必要なモノをごっそり置いて帰りました、ということになります。

どうでしょう。たったこれだけの話でも、昔の農村の様子がわかる貴重な情報が埋まっています。

 清く正しい行いをすれば、よいことがある。

という話だけではありません。

実は、仏教説話としては、なかなか深い意味がこの話にはあります。

おじいさんは笠を売りに町に向かい、そして来た道を引き返してきたことになります。
おもしろいことに、「行き」には気づかなかったお地蔵さんに「帰り」には気がついていることになりますよね。

行きは、「さぁ、笠を売って儲けてやろう」という“欲”に目がくらみ、仏の姿が見えなかったのです。
しかし、笠が売れず、あきらめて帰るとき、つまり“欲”を捨てたときに、仏の姿が見えるようになった…

 清く正しい行いをすればよい

という単純な話ではないんですよね。

おっと、話が少しズレてしまいました。

で、次は“鶴の恩返し”の話をします。

これまた、たいていの子は知っていてくれます。

 昔々、おじいさんとおばあさんが住んでいました… と、おきまりのフレーズで始まる場合もあれば、おじいさんが若者であるバージョンもあります。

 おじいさんが町に薪を売りに行くと、一羽の鶴が猟師の罠にかかっている。
 これをおじいさんが哀れに思って助けてやる。
 雪が降る夜、若い女性が訪ねてきて、
 「道に迷ったので一晩泊めてください」という。
 老夫婦は泊めてやることに…
 しかし、雪は降り続け、なかなか女性は家を出ることができない。
 その間、この女性はおじいさんとおばあさんの世話をする。
 「いっそ、お二人の娘にしてもらえませんか」と申し出て、老夫婦はこれを快諾する。
 そうしてその娘は、その家にあった機織り機を使って織物をつくるようになる。
 その織物があまりにも美しいので、たちまち高値で売れるようになった。

まぁ、続きはご存知のように、「機織りをしている間は絶対に中を見ないでください。」という娘との約束を破ってしまい、中を見てみると、なんと、あの助けた鶴が自分の羽を織り込んで織物を作っていた、という話です。

このおじいさんとおばあさんの家に「機織り機」があります。
貧しいはずの老夫婦の家になぜ、こんなものがあるんでしょう?

これは、町の商家が農家と“契約”し、機械と原材料を貸与して生産させる、という方法が農村に浸透していたからです。これが

 「問屋制家内工業」

です。
農家には、農作業する労働力(主として男子)以外に、余剰労働力(女性など)が存在していました。その労働力を活用することが広がるようになっていたのです。

 農村家内工業 → 問屋制家内工業

江戸時代、18世紀になって、このような移行がみられるようになりました。

 安価な労働力をうまく使って大きな利益を得る…

商人たちの、あたりまえの“思想”です。

 どうやってつくられているのか。
 どんなふうに売られているのか。
 ほんとはどれだけ儲かっているのか。

生産者たちは、そのカラクリを「見てはいけません」「知らないほうがよい」という“教訓”だったのかもしれませんね。