磨墨と生食 | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

いつも思うのですが、『平家物語』は、視覚的にたいへん美しいと思うんですよ。
鎌倉時代初期に、よくそんな色彩感覚があったなぁ、と感心します。

筆者の描写力によるところが多いのでしょうが、描写されているモノが、なんというか、職人技でつくられた工芸品であったことがよく読み手に伝わってきます。

足利がその日の装束には
朽葉の綾の直垂に
赤革縅の鎧着て
高角打つたる甲の緒を締め
金作りの太刀を佩き
二十四さいたる切班の矢負ひ
滋籐の弓持ちて
連銭葦毛なる馬に
柏木にみみづく打つたる金覆輪の鞍置いてぞ乗つたりける

細やかな描写。
そして美しき色と細工のゆきとどいた様を読み手に想像させる小道具たち…

武者の描写もまた、“勇美”です。

鐙踏ん張り立ち上がり
大音声をあげて
昔朝敵将門を亡して
勧賞蒙つて名を後代に揚げたりし
俵藤太秀郷に十代の後胤、下野の住人、足利太郎俊綱が子、又太郎忠綱
生年十七歳にまかりなる

おお! 足利忠綱! カッコよすぎるぞっ

鎧 甲 太刀 馬具

どれもこれも美しい…

そして“馬”。

馬、というと東国の武者たちを連想するかもしれませんが、平氏の武将の騎馬姿は、源氏よりもはるかに美しい(ちょっと平家贔屓に過ぎましたか… 失礼)。

平維盛

赤地の錦の直垂に
萌葱匂の鎧着て
連銭葦毛なる馬に
金覆輪の鞍を置いて乗りたまへり

「容儀帯佩、絵に描くとも筆も及び難し」と『平家物語』では絶賛されています。

でも、わたしは、薩摩守忠度の騎馬姿が大好きです。

紺地の錦の直垂に
黒絲縅の鎧着て
黒き馬の太うたくましきに
沃懸池の鞍を置いて乗りたまへり

どうです、維盛、忠度の勇ましくも美しい姿…

“黒き馬の太うたくましき”

「太うたくましき黒き馬」というと、『平家物語』では「生食」「磨墨」という名の馬が有名です。

え? 何と読むの?? となりそうですが、「いけづき」「するすみ」と読みます。

「磨墨」は、「まことに黒かりければ磨墨とは附けられたり」と説明されていますし、「生食」は、「黒栗毛なる馬の、きはめて太うたくましき…」と説明されています。

以前に、テレビ朝日の「Qさま」の「教科書スペシャル」という番組に出演させていただいて解説させてもらったのですが、

「日本の当時の馬はサラブレッドではない。」
「ポニーのような大きさの馬だ。」

と、申しました。実は、半分正しくなく、「ポニーのような」と説明したのは、その大きさ、形状だけの話で、日本の馬は、かなり気性が激しい“暴れ馬”でした。
また、武者たちは、こういう荒馬が好きで(それを乗りこなして賞賛を得たいという思いもあった)、自らの愛馬には、ことさらそういう馬を求めたようです。
確かに、戦場にむかう馬の気が弱くては話になりません。

たしか司馬遼太郎さんが、『坂の上の雲』の中で、日本の軍馬をみたドイツの軍人が

「これは馬ではなく猛獣だ」

と驚いた、みたいなことを書かれていたと思います。

「生食」という名前から考えて… こいつ、けっこう“怪獣”のような馬だった気がするんです。
『平家物語』の中でも、「馬も人も、あたりをはらつて食ひにければ、生食とは附けられたり」と記されています。
噛みつきまくる荒れ馬だったんでしょう。

名だたる武者にしてみれば、

「お~! これ、ほしいぜっ」

と、なるにきまっています。

所有者は、源頼朝。欲した者は二人。
まずは梶原源太景季。

が、しかし、頼朝は景季には「生食」ではなく「磨墨」を与えました。
景季はちょっぴり残念に思いますが、「磨墨」とて他の武者たちにとっての垂涎の的。
「おまえ、ええよなぁ~」と、みんなからうらやましがられたに違いありません。

ところが、源頼朝、彼の気まぐれなのか、はたまた、彼の人物鑑定眼によるものか、「生食」を佐々木四郎高綱に与えてしまったのです。

「磨墨」は、漆黒青毛の良馬であったことには違いないのですが、「生食」は美しき馬であることに加えて、戦闘馬としては一段格上の馬です。

梶原源太景季は、佐々木四郎高綱が引く馬をみて仰天しました。

やややややっ! あ、あれは「生食」ではないかっ

自分が求めて与えられなかった「生食」を佐々木高綱がもらっている…

こんな恥辱があるものかっ 高綱を斬り、おれも死んでやるっ と、ばかりに佐々木四郎高綱に文句をつけにやってきました。

一方、その様子を見た佐々木高綱は、「ははぁ~ん」とすべてを察します。

「おいっ この馬は、生食ではないかっ いったいどうしたのだ!」
(返答次第では斬ってやるぜっ)

「おう、さればよ、今度の合戦は長期にわたる。並の馬ではとうていかなわぬ。殿に申し上げて生食を所望したのよ。」

「おう、それで?」

「ところが、だ、おれの前に、誰やら名のある武者が所望したらしく、殿には『それほどの武者の申し出を断った以上、おまえには当然やれぬ』と言われてしまったのよ。」

「お、おう?」

こう言われれば景季も悪い気はしない。

「だからよ」と高綱、急に声をひそめて、「盗んだのよ。」とニヤリと笑う。

「な、なに? 盗んだとな?」

「な~に、抜け駆け先駆けは武門のならい。合戦で手柄を立てれば、おとがめもなかろうよ。」

(うわ~ やられたっ そりゃそうだっ どうしてそれに気付かなかったかっ)

「四郎! おまえはすごいやつだっ」と、わははははははっ と、景季は高笑い。

梶原源太景季、おまえ、なんて“よきおとこ”なんだ!
佐々木四郎高綱、おまえ、“わるい”やっちゃなぁ~

かくして、宇治川の渡河作戦の日を迎えます。
世に言う“宇治川の先陣争い”の始まりです。

「先陣」というのは、まっさきに敵陣に切り込む、ということです。当然、突入してくる集団の先頭を叩けば、後の戦いは有利に展開できます。逆に、先頭集団が、敵陣にくい込めば、敵を分断して壊滅に追い込みやすくなります。

「先陣を切る」のは、もっとも危険であるとともに、もっとも手柄を立てやすいもの。
武者にとっては「ハイ・リスク、ハイ・リターン」のお仕事です。

この先陣を、この二人が、争うことになりました。

梶原源太景季は「磨墨」に騎乗し。
佐々木四郎高綱は「生食」に騎乗し。

先に乗り入れたのは景季でした。それに遅れじと高綱が追う!

「源太! 馬の鞍がゆるんでおるぞっ この激流、落馬してはたいへんだっ 気をつけろよ!」

と、高綱は景季に声をかけました。

「おうよっ」と、景季は馬の鞍の紐を締め直す…
と、その隙に、高綱は「生食」を駆って景季を追い抜いてしまいました。

「しまった! やられた!」

と、景季は思います。すぐに高綱を追う。
そして今度は、景季が、

「功をあせって、はやまるなっ 川底には大綱が張られているぞ。気をつけろっ」

と、声をかける。

(たしかに。)と思った高綱は、抜刀して、川底に張られている綱を切りつつ進んでいきました。

こうして“宇治川の先陣争い”は佐々木四郎高綱の一番乗り、ということになったのです。

さて、この話は、どう解釈すればよいのでしょう。

佐々木高綱が梶原景季をだまし、うまうまと先陣争いに勝利した、という話でよいのでしょうか。

わたしは、ただ、二人が“協力”して川を渡りきったような気がしてしかたがありません。
『平家物語』では、最初のところで「だまされた!」という言葉を景季が発しているものですから、ついついそう考えてしまいがちですが、実際は、お互いに声をかけながら、渡河作戦を敢行した、というような気がします。

あるいは…

「合戦で手柄を立てれば、おとがめもなかろうよ。」

という先の高綱の言葉を景季が思い出し、高綱に功を譲ったのかもしれません。
だとすれば、ますます源太は“よきおとこ”ということになりそうです。

“悪”と“悪になりきれなかったおとこ”の物語といってよいかもしれません。

(次回に続く)次回・楽器の話