私がまだ小学生の低学年だったころのことです。たぶん一年生か…
京都の叔母の家に行きました。2月も終わり頃、庭の梅がきれいに咲いていたのですが、翌朝、一転して大雪となりました。
子どもって、雪、好きじゃないですか。
私も庭に飛び出てはしゃぎ、調子にのってしまって、雪がいっぱい積もっていた庭の梅の枝を折ってしまいました。
ほら、雪がこんなにのってるで。
と、叔母に差し出すと、
あらあら、まぁまぁ、すけもりさんじゃあろまいし。
と、言われたんです。
すけもりさん???
だれ? それ? と、そのときは思ったのですが、そのような出来事があったことすらすっかり忘れて歳月が流れました。
そして高校生になり、やがて卒業だな、というある日…
長く忘れて記憶の底に沈んでいた「あの日」のこと、そして叔母の「すけもりさん」という言葉が、突然目の前によみがえったのです。
『建礼門院右京大夫集』
を読んだんです。
あ! このことやったんか!
平資盛。
平重盛の子で、歴史の教科書では、まったく取り上げられない人物です。
彼の兄の維盛のほうは、実はちょっぴり出てきます。
ただし、なんとも不名誉な役回りで…
富士川の戦いで、水鳥の音に驚いて逃げる…
倶利伽羅峠の戦いで、さんざんに打ち破られる…
以前に、重盛は、維盛・資盛の兄弟を、それぞれ政権内での役割分担をさせる計画でいたのではないか、という話をしました。
維盛は「武」、資盛は「文」。
維盛は一門を率いる武将として育てる。
資盛は宮廷で出世させて公卿として育てる。
なんともおもしろいことですが、実際、維盛は「武」において歴史の教科書に出てきて、資盛は「文」において古典の教科書に出てきます。
(『平家物語』の中で、資盛のもっとも有名な「殿下乗合事件」なのですが、前にも申しましたように、これは資盛自身に責任があった事件ではありません。まだ10才の子どもだった資盛にとっては、いったい何が起こったの? というようなことだったでしょう。)
さてさて、まちがいなく、資盛は“よきおとこ”です。
“悪にはなりきれぬおとこ”
「謀」においても、資盛は宮廷担当でしたが、後白河法皇との交渉もうまくいかず、都落ちの後、豊後国での交渉も不調に終わる…
「武」においても、三草山の戦いでは、源義経配下の土肥実平の、民家への放火をともなう奇襲攻撃に敗退してしまう…
(でもね、このとき義経軍は資盛軍の倍以上の兵力があったんですよ。ふつう大軍が寡兵に対して奇襲するなんて考えられません。ましてや夜盗のごとく、非戦闘員をまきこんでの攻撃など、資盛には思いつかなかったことでしょう。)
三草山の戦いは、源平の“悪”と“悪になりきれぬ”者との戦いであったようにも思います。
さて、そんな資盛が歴史の中で輝くことになったのは、建礼門院右京大夫によってではないでしょうか。
建礼門院右京大夫
は、建礼門院に仕える女房。つまり、平清盛の娘にして安徳天皇の母、徳子に仕える女房の一人でした。
『建礼門院右京大夫集』の中で、彼女は資盛への“想い”を綴っているのですが、資盛と右京大夫は、ほんとうに純粋な“恋”の世界を漂っていた、と、思うんですよ。
通盛と小宰相は“愛する二人”
資盛と右京大夫は“恋する二人”
という感じがします。
意外に思われるかもしれませんが、『建礼門院右京大夫集』には、「資盛」およびそれとわかる彼の官位はほとんど出てきません。
もの思はせし人
さめやらぬ夢と思ふ人
女性にこのように表現される資盛は、さぞや“よきおとこ”だったのでしょう。
いや、資盛は、右京大夫によって初めて“よきおとこ”になりえたような気がします。
そして平家の都落ちのとき、二人は「別れる」ことになりました。
平家は敗れ、資盛は壇ノ浦に沈む…
冬のある日のことでした。
右京大夫が庭を見てみると、雪で真っ白…
橘の木にも雪が積もっていました。
あ…
と、右京大夫は、ある日の資盛の姿を思い出したのです。
かつて内裏に大雪が積もったときのことでした。
宿直の資盛が、雪の積もった橘の枝を手折り、雪を払わずにそれを手に持っている…
「橘の枝を手折られたのですね。」
「いつも橘の木の横に立っているからね。なんだか親しみがあって…」
平資盛は、右近衛権中将。
宮中の儀式では、“右近の橘”の側に立ちます。
雪の積もった橘の枝を持ち、おだやかに右京大夫に微笑みかける資盛。
資盛! おまえなんてカッコいいんだ!
わたしはシビれてしまいました。
平家の公達の、なんと気品のあることか。
右京大夫にしてみれば、これは資盛のベストショットの“心の写真”だったと思います。
これは忘れられるわけがない…
資盛の死後、右京大夫は、日常すべての出来事の中に、資盛を思い出していました。
資盛の荘園が荒れ果てている様を見ても資盛を思い出し、一緒に花見をしたときの桜が、あのときと変わらず今年も咲いているのを見ては、かたわらに資盛がおらぬ今を嘆く…
うつりかわるもの、うつりかわらぬもの… 何をみても資盛のことばかりが思い出されて悲しい…
建礼門院右京大夫は二度恋をしたのでしょう。
一度目は生きている資盛に
二度目は死んでしまった資盛に
(次回に続く)次回・生食と磨墨