歴史の授業では、もちろん人名や地名などが出てきます。実際の入試でも、正誤問題のポイントにもなりますので、このあたりは正確に伝えていきます。
たとえば「太閤検地」。
わたしの塾講師時代の、小学生向け授業の“まくら”は、「たいこうけんち、の漢字、間違えてないか?」という問いかけでした。
中学受験を経験して入学してきた子たちは、この“洗礼”を受けているので間違える子は少ないのですが、小学生ぐらいですと
太閤検地の「閤」を「閣」、つまり、「門」の中を「合」ではなく「各」にしてしまっている子がけっこういるんですよね。
ただ、中学生にも一応、この確認はします。ときどき、あ… 間違えててた… みたいになる子もいます。
わかっているのに、ついつい書いてしまうものですよね。「閤」という字は他にあまり使用しませんから。
他にも、紫式部の「紫」が「柴」にしてしまう間違いや、「紫」の上の部分が「此」ではなく「比」にしてしまう、というのもよくある間違いです。
平安時代の10世紀、耕作農民を「田堵」というのですが、田堵の「堵」も、「者」ではなく「、」がついています。
これも、かつては活字体の中で「、」が付いていなかったことがあり、ネットで検索したりした場合には抜けているケースがあり、保護者や生徒から調べたら「、」が無いのですが… という質問を受けたこともあります。でも「田堵」の「堵」は点をつけてほしいところです。
えらそうに言う、わたしも、教材やプリントをワープロ打ちしていると、間違えた変換を見逃してしまって「ごめんごめん、訂正しといて」ということを恥ずかしながらやってしまうときがあります。
「遥任」の「遥」も、別の歴史用語で「雑徭」というものがあるもんだから「徭任」とワープロミスしてしまうときがあります(単語登録してしまうとミスはもちろんしません)。
ついでに言うと、この「遥」も部首は「辶」で、上に「、」が付いている字でなければなりませんが、ふつうに打つと「遥」と出てしまいます。
本地垂迹の「迹」もそうですよね…
いろいろ頭を悩ませてしまうところは多いですし、「間違えてはいけないよ」という教師もしょっちゅう「あ、抜けてた」とか「あ、間違えて書いてもーた」とかなってしまって、生徒たちに申し訳なく思ってしまうこともあります。
誤字脱字も注意しなければなりませんが、地名などもうっかり間違ってしまっておぼえてしまうところもあります。
大学入試でも高校入試でも中学入試でも「戦い」の場所が何県であるのか、また、地図から選べ、という問題の場合もあり、「地図帳」も並行して使用する授業が大切なときがあります。
織田信長などについて、復習などまとめの授業などをするときは、信長の統一事業を年表で並べて大きな流れをつかませてから、中身を“肉付け”していく方法をとるときがあります。
そのうち、戦いだけを取り出してみると、
1560年 桶狭間の戦い
1570年 姉川の戦い
1575年 長篠の戦い
の三つは高校入試や大学入試でも問われるものです(中学入試では姉川の戦いはほとんど問われていません)。
桶狭間、姉川、長篠は、それぞれ何県だかわかるでしょうか?
桶狭間と長篠は愛知県、姉川は滋賀県、ということになります。
ついでに関ヶ原の戦いは、岐阜県です。
(中学受験をめざして勉強している子どもは、案外と、何県で起こったのか知らない場合があるので一度、そういうお子さんをお持ちの保護者の方は確認してみてください。)
地元の人だと間違えるはずのないことも、案外と他府県の方は知りません、ということがあります。
源頼朝は伊豆に流された、とは話で知っている人は多いと思います。伊豆国=静岡県、というイメージが強いものですから、
「源頼朝が伊豆で挙兵した」
という表現で、ああ、静岡県で挙兵したんだな、と、思い込んでしまうと、「石橋山の戦い」も静岡県で起こった、と、思ってしまう生徒もいて、「石橋山の戦い」が現在の神奈川県だということに気づかないときもあるんですよ。
塾で教えていたときに笑ってしまったことは、「地理」などで案外と大阪の子どもたちは知らないことが多いな、と感じることがありました。
山陽新幹線は、新大阪駅から博多駅まで通っていますが、「大阪-博多」というイメージがあるせいか、博多が福岡市であると知らず、「博多市」というのがあると思っている子、けっこういるんですよね。九州の人が聞いたら笑ってしまうでしょ?
関西だから知っている、とは、限らないこともあり、「明石海峡大橋は、明石市と淡路島を結んでいる」と、思っている生徒もいました。「明石海峡」という言葉から、橋が明石市にあると思ってしまうんですよね、きっと… 神戸市垂水区と淡路島にかかっている橋、ということになります。
昔、いじわるで、「鉄1トンと綿1トン、どっちが重い?」と聞いたら、同じに決まっているのに「え… どっちだろ」と考え込んでしまう子がいました。
「明石海峡大橋は何県と何県を結んでいる?」
と聞くと、「兵庫県と徳島県!」と答えてしまう小学生がいるからおもしろいですよ。
すいません。地理の話に脱線してしまいました。
朝鮮出兵のときに、豊臣秀吉が、名護屋に陣を張った、というと、名護屋が「名古屋」だと思ってしまう生徒もいます。
鳥羽-伏見の戦いも、「鳥羽」が、三重県の鳥羽だと思っている生徒も何人かいるんですよね。
人名なんかも昔と読み方、書き方が変わってしまっている場合もあります。
小牧・長久手の戦いで、豊臣秀吉は、徳川家康・織田信雄の連合軍と戦いました。織田信雄は信長の次男なのですが、昔は「信雄」を「のぶかつ」と読んでいましたが、今の高校の教科書では「のぶお」になっていて笑いました。「のぶお」って…
後醍醐天皇の皇子、護良親王も、昔は「もりなが」親王と読んでいましたが「もりよし」親王という読み方に変わっています。
日本史だけでなく世界史でも、
リンカーン大統領は、リンカン大統領
トーマス=ジェファーソンは、トマス=ジェファソン
有名な国際テロ組織も、テレビや新聞ではアルカイーダと呼称していますが、教科書ではアル=カーイダと表記されているんですよ。
現在50才以上の方は、「目には目を、歯には歯を」の復讐法で有名な法典を編纂した人物は「ハムラビ大王」と表記していましたが、今では「ハンムラビ」となっています。
ついでに、最新のオリエント史の中では、もはや「ハンムラビ」ではなく
「ハンムラピ」
と、「ピ」に変わっています(まだ、教科書ではハンムラビですが…)。
すいません。今度は世界史に脱線してしまいました。
とにかく、なんやらかんやらと、間違いやすいというか、もはや今の読み方、書き方、ほんまにそれでええの? と、懐疑的になっちゃいます。
昔はこうでも今はこう。
今はこうでも昔はこう。
世の中に絶対、ということはないっ と、言い切った相対主義を説くソフィストたちに、ソクラテスはニッコリ笑って言いました。
「世の中に絶対なものはない、というのが絶対なのではないのかね?」
歴史は変わる、ということだけが、変わらないことのようですね。