沖縄国際映画祭に捧ぐ | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

沖縄国際映画祭が行われています。

それを記念して… 
沖縄の歴史、特別編「マル秘ファイル」を紹介いたしましょう~

第一のファイルはこちらです。

★ 琉球王国の人たちは、《にゃ~にゃ~》を《にゃ~にゃ~》いた。

さてさて、沖縄は、19世紀に沖縄県として日本に編入される以前は、「琉球王国」でした。

さて、おもしろいのはこの琉球王国の“外交”姿勢です。

沖縄県最南端の与那国島からは、「台湾」がよく見えます。
ところが、琉球王国は、違う文化の国を支配したり征服したりすることによって争いが起こることを避けたい、と、考えていました。
ようするに「異文化接触」によるトラブル回避のために、人々が台湾に渡ることがないようにするためにある禁令を発しました。
それは「台湾に渡ってはならない」というような命令ではありません。もっともっと全否定的な命令です。それは…

「台湾が見える」と口にすることを禁止する、というものでした。

   台湾の見えるということは禁制なり  ~『大島筆記』~

 琉球王国の人たちは、「台湾」を「見なかったことにして」いた。

第二のファイルはもっと“不思議”な話です。

★ 《にゃ~にゃ~》かもしれない人々が《にゃ~にゃ~》島があった。

これは、もう、どう言っていいかわからない怪奇なお話です。でも、実は一部の愛好家の方々には有名な話。
しかも、「マル秘ファイル」は琉球王国の正史に記述されていることで、けっこうマジなことなのですよ。

 久高島。
 代々異種の人が生まれている。
 太古より知念間切の久高島には異種の民がいた。
 生来性格は素直で通常の人々よりも賢く勤勉。
 人々の生活はたいへん裕福でその種族は七、八名いるようだ。
 彼らはみな、膝からくるぶしまでがたいへん細く、カカトがない。
 足の甲は短くその指は長く、そしてその形は手のひらのよう。
 それで立っている。
 …彼らは神のように敬われている。 ~『球陽』第十四巻 尚敬王の三十年~

これ… どう考えても宇宙人?? というようなお話しです。
久高島は、「神の島」として有名で、「琉球神話」では

 創造の神アマミキヨが天上より降臨して最初に造った七つの島の一つ

とされています。
「神が降りた」島…

 「宇宙人」かもしれない人々が「住んでいた」島があった。

信じるも信じないも、あなた次第… ぎゃ~~ という話です。

第三のファイルはこちらです。

★ 全力で《にゃ~にゃ~》のに、1時間差で《にゃ~にゃ~》。

え… 何それ…
という方がほとんどだと思いますが、年配の沖縄の方なら、「1時間差で」という部分で、あ! 知っている知っている、と、なる方もおられます。

「マル秘ファイル」は、戦前の国語の教科書です。

日露戦争時、バルティック艦隊が日本にせまっていました。
軍事衛星どころかレーダーすら無い時代。
いったいどこに現れるのか、まったくわからない状態が続いていました。
そのとき、宮古島の漁師の青年が操業中にバルティック艦隊を発見したのです。(おそらくまちがいなく第一発見者です。)
大急ぎで宮古島にもどって役場に伝えました。
しかし、電信施設は当時、石垣島の郵便局にしかなく、村の長老たちが集まり、村の中でも勇敢で屈強な5人を選んで、なんと180㎞離れた八重山郵便局に知らせることにしたのです。
彼らは国の一大事の報せを背負い、船を漕ぐこと5時間、全力で走ること30時間、バルティック艦隊到来を八重山郵便局から発信して知らせたのです!

しかし… 「ああ、それ、1時間前に信濃丸が発見して知らせてくれたよ。ありがと。」となってしまいました…
しかし、国の危機を思う彼らの気持ち、宮古島の人々の勇気をたたえて国語の教科書に取り上げられることになったのです。

 全力で「150㎞船を漕ぎ、全力で30㎞走って知らせた」のに
 1時間差で「一番乗りできなかった人びとがいた」。
                  ~『遅かりし1時間』 中等国文教科書より~

さて、勇敢で屈強、何事にも最善を尽くす宮古島の人々のさらなる勇気を伝えるファイルがこちらです!

★ 《にゃ~にゃ~》たドイツの船を《にゃ~にゃ~》。

この話は、こはにわは、もっと大々的にみなさんにお伝えすべきだ、と、思っていることなんです。知らない人が多すぎる…
「元気が出るすばらしい人びと」の歴史、ということを機会があればコヤブ歴史堂でもお伝えしていきたいなぁ、と、いつも思っています。

19世紀、日本は明治維新を開始し、新しい国家造りを急いでいました。
幕末以来、多くの外国の商船、軍艦などが日本に来航しています。
ペリーも再来するときには琉球に立ち寄ったりしているんですよ。

さてさて、ドイツの商船、ロベルトソン号が嵐の中、琉球沖を航行中、操船不能の状態に陥りました。
なんとか立て直そうとしますが失敗、ロベルトソン号は宮古島沖まで流され、サンゴ礁にのりあげてしまいました。
事態を知った、近辺航行中のイギリスの軍艦カーリュー号が救出しようとしたが失敗してしまいます。
いったい宮古島の人がどのようにしてこの遭難事件を知ったのかは不明ですが、宮古島の海の男たちは、遭難して困っている人を見つければ、自らの命の危険をもかえりみずに助けに行きます。それが宮古島の海の男たちの心意気。
サンゴ礁にむけて小舟を繰り出し、救助にむかいますが、今で言うなら超大型台風が直撃していたようで、さしもの宮古島の海の男たちも経験したことがない大荒れ…
いったん引き返します。
何事にも最善を尽くす宮古島の人々。こんなことではめげません。
なんと村人たちが総出で沿岸にかがり火を焚き、

「かならず助けに行くぞ!」

と、みんなで沿岸から声援を送り続けます。

翌朝、再度のチャレンジ! 精鋭の操船技術の達人たちをよりすぐり、たった2艘でサンゴ礁に乗り上げているロベルトソン号に近づき、手早く船員たちを救助。そうしてすぐさまサンゴ礁を離れたその瞬間、大波がロベルトソン号を襲い、たちまち大破して水没してしまいます。
まさに危機一髪! (これ、映画にできますよ、マジで。)

救出された船長は帰国後、『ロベルトソン号宮古島漂着記』を著したところ、当時のドイツ皇帝ヴィルヘルム1世が感激。1876年、軍艦チクローブ号を派遣して表敬訪問させました。

現在でも、ドイツのシュレーダー首相(当時)が宮古島を訪問し、その勇気と博愛の精神が称えられています。
明治政府がドイツと友好を深め、後年、日本がドイツの政治制度、軍事制度を学びに行ったときに、他の国には見せない施設や、教えない機密なども提供してくれた背景には、このような「できごと」があったんですよね。

 「イギリスの軍艦が救助できなかった」ドイツの船を、
 「宮古島の人々が全力で救助した」。
                   ~『ロベルトソン号宮古島漂着記』より~