来週というか今週で、NHKの人気の朝ドラが最終週となります。
NHKの朝ドラは、前回の「あまちゃん」がたいへんな人気だったようですが、こはにわはなんと、見ておりませんでした。
ていうか、その時間はもう学校に出かけていて、見る機会がなかったのです。
しかし、「ごちそうさん」は、“ちょっした理由”から、知人に録画をしてもらい、よく見ております。
あの番組の中で、戦前・戦中のいろいろな大阪の様子が描かれているのですが、父や伯父などが話してくれた戦前・戦中のいろいろな話と重なることがたくさんあり、ああ、こういう話、聞いたことある、と、思っています。
戦争の歴史、というと、ついつい外交史や政治史として説明されがちですが、やはり、当時の人びとの生活などの様子に関する社会史、生活史、ということも大切です。
どちらかに偏っていてはだめで、両方から色々な事実をすりあわせていく、というのが重要なところ…
戦争の体験談を語れる人がだんだんと少なくなっていくのは、ある意味「史料」の消失と同じ…
体験談なども記録にとどめていく、語り継いでいく、ということも大切だと思います。
戦中の話で、あ、これ、おじさんが言うていた、というのが、大阪空襲の話。
「地下鉄で空襲から避難できた」
という話もそうです。
おじさんは、本町で商売をしていたこともあり、「そのとき」、まさに空襲を体験しました。
父は、「そのとき」、和歌山の兵器工場で仕事をした後、帰ろうとしていました。
お盆になって、親戚の人たちが集まると、ついつい戦時中の話になります。
子どもながら、何度も聞いた話なのですが、ついつい耳を傾けておりました。
「空襲」の話になったとき、わたしが
「大阪に地下鉄あったやんね。みんな地下鉄に逃げたの?」
というと、父は、
「地下鉄は閉じていて、中には入られへんかってん。地下鉄に逃げたくても入られなかったんや。」
と言います。ところが、おじさんは
「いや、地下鉄に逃げていた人、おったよ。たしか心斎橋の駅の切符売り場に隠れてた人がおったはずや。」
と言います。
それでも父は、「いやいや、地下鉄には入られなかったはずや」と…
軽く「口論」というか「言い合い」になっていたことをおぼえています。
まず、政治史的に説明しますと、大阪の地下鉄には避難できませんでした。
『時局防空必携』
というのが配布されていて(1943年)、
「地下鉄道内への避難の禁止」
というのが明確に記されており、当時、大阪の地下鉄の入り口は、かなり頑丈な鉄格子で閉じられておりました。
・地下鉄道は非常時においては重要な役割を果たす。
・非常時に地下鉄道を避難所にしていると重要な物資、人員の搬送に支障が出る。
・1t級の爆弾に地下鉄道の坑道は耐えられない。
というのがその「理由」でした。
「非常時に避難する人たちの命」よりも重要な物資と人員って何やねんっ と、ツッコミを入れたくなるところです。
ところが、民衆の側の「記憶」では、そうではありません。
地下鉄の職員の“機転”というか“配慮”というか、地下鉄の“扉”は開かれて、多くの人が地下鉄内に避難していました。
それどころか、地下鉄が運行して、心斎橋から被害の少ない梅田へ多くの人たちを逃がした、という証言も残っています。
史料によると、避難できないはずだから、避難はなかった、という説明は誤りです。
誤った史料読解、ということになります。
「1t級の爆弾」の心配は実際には不要でした。
米軍は、日本に木造建築が多いことから、ドイツへの空襲とは違い、破壊を目的とした大型爆弾よりも、「焼き払う」ためを目的とした
焼夷弾
を使用していました。このことも、空襲によって地下鉄が破壊されなかった最大の理由ではありますが、地上の民家は悲惨な被害を受けておりました。
大阪城を残して、すべてが焼野原、と、なったそうです。
大阪城は、「大阪であることを示す目印」として、米軍によってわざと残された建造物でした。
「父の記憶」では南から来たB29爆撃機は、西の生駒山の上を北上し、ぐるっと北で左旋回して南下し、焼夷弾をばらまいた、そうです。
「爆弾が投下される音、テレビや映画では、なんかヒュ~~ ドカンっ みたいな効果音やけど、あんなんちゃうで。」
ザァ~っ
という夕立みたいな音だった、と言うておりました。
天井裏の板を外し、畳をあげておく。
焼夷弾が天井裏にひっかからないようにし、畳につきささらないようにしておく、というような話も聞きました。
さて、戦後の話ですが…
わたしの父は、「野球少年」だったそうで、高校も大学も野球部でした。
甲子園でおこなわれる「高校野球」も大好きで、毎回毎回、甲子園球場に出かけておりました。
ですから、野球に関係する戦前戦後の話はよく聞かせてくれました。
案外と、野球の“復活”は早かったのです。
びっくりするかもしれませんが、1945年10月に神宮球場で「早慶戦」が開催されています。終戦からわずか2ヶ月後です。
プロ野球も11月には始められました。早慶戦には5万人が観戦に来た、といいますから、
食料難のあの時代、まさに「三度の飯よりも野球が好き」な人がたくさんいたわけです。
ところが…
神宮球場の野球としての使用は始まったのに、甲子園の使用はGHQ(占領軍総司令部)は許可しませんでした。
甲子園球場は、戦時中、スタンドの下というか裏が軍需工場として利用されていたこともあり、米軍が「占領」して、兵士の駐留所となっていたのです。
“中等野球”(現在の高校野球)が開始されるのは1946年の夏の大会からなのですが、甲子園ではなく、阪急西宮球場でした。
ここから阪神電鉄と選抜大会を主催していた毎日新聞、そして野球ファンたちの「戦い」が始まりました。
なんとか甲子園球場を復活させたい!
占領軍の司令部の一つが神戸にありました。父の話では“神戸ベース”と呼ばれていたそうです。
この神戸ベースへ、阪神電鉄、毎日新聞、多くの野球支援者たちが連日掛け合い、とうとう米軍に接収されていた甲子園が“解放”され、1947年1月からの使用が認められることになったのです。
毎日新聞は大々的に「選抜大会復活」を報じ、多くの野球関係者も大はしゃぎしたそうです。
野球が大好きだった父も、めちゃくちゃ喜んだらしいのです。ところが…
「GHQが、直前になってアカンて言い出しやがってん。」
いやいや、神戸ベースの許可とったんでしょ、と、なったのですが…
色々な手違いというか勘違いというか、実際の事情は複雑だったようなのですが、球場としての使用再開と野球大会の開催は別問題、ということだったらしいのですが、父に言わせれば、
「神戸ベースだけが勝手に決めたから東京がヘソ曲げよったんや。メンツつぶされたというか、なんでこっちに話無いねん、みたいなしょーもない理由やっ」
と、ずいぶん怒って説明してくれました。
また、同じ「掛け合い」を今度は東京でおこない、関係者は土下座する勢いで「嘆願」し、
「しゃ~ないなあ~ 今回だけ認めてやろ」
みたいな感じになったそうです。当時の阪神電鉄の担当責任者は「敗戦国がこんなにみじめなものかと痛感した」と述懐されておられました。
このあたりの“経緯”も、「ごちそうさん」では描かれているようです。
実は、これと並行し、もう一つのスポーツの開始も進んでいました。
アメリカンフットボール
です。
米軍が接収していたとき、甲子園でなんと米兵がアメフト大会を開催していたんですよね。
ここがおもしろいところなんですが、GHQの神戸ベースは、日本にもアメフトを普及させようと企画し、関西の各大学関係者に招待状を送り、アメフトの試合を観戦させたのです。
選抜野球大会が終わってわずか一週間後に、
アメリカンフットボール学生王座決定戦
も、開始されているんですよね。“甲子園ボウル”の始まりです。
ところがこのとき、大珍事が発生します。
実は、甲子園では、夕方からボクシングの試合が開催される予定で、それよりも早くにアメフトの試合が終わる予定でした。
外野部分でアメフトの試合、内野ではボクシングの試合…
なんとも変な光景なのですが、なんとアメフトの試合がなかなか終わらず、アメフトは続いているのに、同時にボクシングも始まる、というおもしろいことになったそうです。
以下は蛇足ですが…
最初に“ちょっとした理由”で「ごちそうさん」は録画している、という話をしました。
実は、「ごちそうさん」に出演している女優、
西門希子役の高畑充希さん
なのですが… 実は、こはにわが教えている私立中学の卒業生なんです。お勉強もたいへんよくできました。
彼女が中2・中3のときの担任がなんとわたし…
(しかも、彼女、歌、うまいでしょ。というか歌手ですが。軽音楽部でボーカルも担当していたんですよ。)
ほんとに立派な女優になってしまいました。
学年主任ともども、みんなで彼女の活躍を陰ながら(一視聴者として)応援しております。
みなさんも是非、高畑充希を応援してやってください。
大阪の堺筋本町に「ぜー六」という昔ながらのアイスモナカを売っている店があります。
ここのアイスクリームが、なんというか昔ながらの懐かしい“アイスクリン”の味でしてね。
「先生っ わたし“ぜー六”のアイスモナカ大好きやねんっ」
と、彼女が言うていたのをよくおぼえております。
「おまえ、通(つう)なこと言うなぁ~」
ぜー六のアイスモナカは昔からあり、本町で商売をしていたおじがよく買ってきてくれたアイスで、わたしも大好きでした。
高畑充希さんは、「ごちそうさん」の出演者にふさわしい、大阪の食いしん坊な女優さんですよ。
みなさんも一度、大阪の昔のアイスの味、ぜー六のアイスモナカ、食べてみてくざたい。
これを食べると父やおじさんの昔話を思い出します。
昭和の味… こはにわにとっては父やおじさんの終戦直後の記憶を呼び覚ます“なつかしい味”です。