第34回は、「藤原ファミリー」でした。
もちろん、単一の人物をとりあげるのも楽しいのですが“ファミリー”“一族”など「人物群」もコヤブ歴史堂では取り上げています。
藤原氏は一日にしてならず…
小学校の教科書では、藤原道長と頼通父子をとりあげて、そして摂関政治、ということを説明してしまいます。
以前にも申しましたように、最初に摂政となったのは藤原良房ですし、関白となったのは藤原基経のときです。
さらにさかのぼって、平安時代初期、藤原氏が力を握るのは、嵯峨天皇のときに力をふるった藤原冬嗣のときです。
では、藤原冬嗣から藤原氏が強くなったのか、というとそうではなく、奈良時代から大きな力をふるっていました。
藤原氏の祖は、大化の改新の功労者、中臣鎌足です。死後、“藤原”の姓を天智天皇から賜り、その子の藤原不比等から政権の中枢に力を伸ばします。
藤原不比等
藤原四兄弟(武智麻呂・房先・・宇合・麻呂)
藤原仲麻呂
藤原百川
藤原冬嗣
藤原良房
藤原基経
藤原道長
藤原頼通
と、ここまでほぼ300年以上、藤原氏が政治の中心にありました。
しかし…
欠けぬ満月はありません。
道長・頼通の父子のときが“最盛期”ということは、逆に言えばここからは衰えていく、ということです。
中学では、「摂関政治」の次には「院政」という項目があります。
天皇が、子どもに位を譲ってからも政治の実権をにぎり、政治をおこなう…
院政、というと、ついつい摂関政治に「対抗」するために始められたように思われがちですが、実際はちょっと違います。
(詳しくは、拙著『日本人の8割が知らなかったほんとうの日本史』「藤原氏の摂関政治に対抗して院政が始まったのではない」の項を是非お読みください。)
そもそものきっかけは、藤原頼通の娘は、男子を生まず、藤原氏をおじいちゃんにしない天皇が位につきました。
これが後三条天皇です。
後三条天皇には二人の后がいて、一人は藤原茂子。もう一人は源基子。
藤原茂子との間には貞仁親王が生まれます。
源基子との間には実仁親王と輔仁親王の二人が生まれます。
後三条天皇は、貞仁親王に位を譲ったのですが、母は藤原氏。非藤原氏の子たちに位を譲りたかったので、貞仁親王に
「おまえに位は譲るがおまえの次の天皇は実仁、そしてその次は輔仁だ。」
と言います。
貞仁親王は、こうして白河天皇となりました。
そして後三条天皇は上皇として政治を進めようとしたところ、わずか一年で死去してしまいます。
それどころか、さらに次の天皇、と、されていた弟の実仁も死んでしまったのです。
白河天皇はこれをチャンスと考え、弟の輔仁親王に位を譲らず、自分の子ども(堀河天皇)に位を譲って上皇となったのです。
こうして「院政」が始まりました。
白河上皇は、藤原氏に対抗するために院政を始めたのではなく、弟の輔仁に天皇の位は譲らないぞっ という天皇家内の対立から院政を始めたんでよね。
そもそも白河天皇の母は藤原氏です。
なんのことはない、白河天皇は藤原系の天皇なんです。
そして当時の藤原氏の長である、藤原師実とはたいへん仲がよく、二人で政治をしているんですよね。
で、師実の子、師通が関白になることを認めました。
師実と堀河天皇は、やる気満々で政治を始めます。
藤原師通
番組で取り上げた、妻の全子をないがしろにしたために恨まれて呪われた、という人物です。
実はどうもこの人、よく他人に恨まれるようで…
比叡山の僧たちとも対立し、抗議にきた僧たちに武士を派遣して撃退しました。
で、この僧たちがなんと師通を呪詛し、そのために死んだ、という記録さえあります。(『百錬抄』)
ところで、白河上皇なのですが、政治に未練はなかったようなんです。というのも、かわいがっていた自分の娘が死んでしまい、失意のあまり、政治に興味がなくなっちゃいました。
師通が長生きしていたら、そのまま摂関政治は続いていたかもしれないのですが、「妻の呪い」のためか「僧たちの呪詛」のためか、師通は37才で死んでしまうのです…
それどころか、堀河天皇も死んでしまいました。
堀河天皇には4才の子がいて、これがこの子が天皇(鳥羽天皇)となります。
師通にも子がいて、これがわずか22才の忠実です。
4才の天皇と22才の摂政…
まったくの飾りで政治能力ゼロ。
この“危機”のために、白河上皇が返り咲く、というわけだったのです。
学校教育では、院政開始は1086年、と、説明しますが、実際はこの時(1107年)から始まった、といえそうです。
藤原忠実
忠実は、白河上皇の子をうんだ師子に一目ぼれし、祖母(藤原麗子)にお願いして、師子を白河上皇から譲り受けて妻としています。
これが番組でも取り上げた『今鏡』に記されたエピソード。
まだまだ未熟な忠実が白河上皇と接近できるようにと、藤原麗子が仕組んだ縁組だったと考えられます。
政治、というのは、実は、制度によって動いているのではなく、人によって動いている案外と脆いものかもしれません。
摂政も関白という役職は、制度としてちゃんと存続しているのに、それにふさわしい人がその座になければ、たちどころに機能しなくなっていく…
欠けゆく望月… 師通、忠実によって院政が始まってしまったのです。