第35回は「足利義満」でした。
足利義満、と、いいますと、連想ゲーム的に言うと「金閣」が有名です。
京都観光都市伝説、というのはけっこうありまして…
京都人は「大文字焼き」とは言わない、というのがあります。
たしかにあんまり言いませんね… 大阪の人は「大文字焼き」と言う方多いんですが…
あ、いや、京都の方でも言いますよ。
でも、正しくは
「五山の送り火」
です。
京都人は「金閣寺」とは言わない、というのがあります。
これはどうでしょう…
京都に観光に行かれた方はわかりますが、道路の標識などに堂々と「金閣寺」と書いてます。
たしかに金閣寺、というお寺はありません。鹿苑寺、というのが正しいわけです。
同様に銀閣も慈照寺、でして、
鹿苑寺舎利殿 “金閣”
慈照寺観音堂 “銀閣”
ということになります。
ただ、一時、鹿苑寺の金閣が見えるところに「立札」があって「これは金閣寺ではありません」とわざわざ書かれてあった… という“伝説”もあります。(いや実は実際にあったときもあるんですよ。)
金閣・銀閣は、京都北山・東山、のまさに「一対」の観光スポットとなっています。
話が逸れているついでに…
こはにわは、大阪の私立中学で教師をしていますが、「足利義満」に関する講義をするときの「まくら」はいつもきまっています。
金閣と銀閣、どっちが二階建てで、どっちが三階建てだと思う?
案外と、子どもたちは迷います。大人でも、あれ? どっちだったかな… となる場合も多いと思います。
金閣が三階建て
銀閣が二階建て
です。
で、金閣は、「金箔」を貼っているのですが…
ここで続いて問題です。(実は中学入試でも問われることがあるんですよ。)
金閣の金箔の貼られ方なのですが
A 一階から三階まですべて貼られている
B 一階には貼られておらず、二階と三階に貼られている。
C 一階と三階に貼られているが二階には貼られていない。
D 一階と二階には貼られているが三階には貼られていない。
さて、どうでしょうか…
案外、建物すべてに金箔が貼られている、という“錯覚”というか“思い込み”をされている方も多いのですが、
B 一階には貼られていない
が正解なんです。
(一階には金箔無し、二階は外に貼られているが中には無し、三階は外も中も貼られている、ということになっています。)
一階は、日本古来の寝殿造にみられる白木の造り、二階は武家に多い書院造の禅宗様式、そして三階は中国の皇帝のような居室…
よって、貴族を従え、武家をも従え、自らは中国の皇帝のような存在であるのだ、という義満の野望を表現している、と言われる学者もおられます。
そもそも金箔、というのは、部屋の内側などには装飾する場合はそれまでにもみられたのですが、建築物の外観に貼る、という「突き抜けた」発想をした人はいません。
後年、信長も秀吉も、かなりの派手好きですが、建物の外観に金箔を貼る、ということはしていませんよね。(黄金の茶室は確かに豪勢ですが、茶室、ですからね…)
義満にはかなりの発信力があったように思います。
話が逸れてるついでに、話をさらに飛ばしてしまいますが…
「洛中洛外図」
というのがあります。
これ、高校の教科書などにも紹介されているので、何だか「一つの作品」と思われている方も多いのですが、実は数種類あります。(たとえば信長が上杉謙信に贈ったものは「上杉本」と言われています。)
これは昔の京都市内の様子が描かれているのですが… どうみても、「空」から見下ろしたような描かれ方なんですよね…
さりとて、飛行機で「俯瞰」したほどではない… 小高い丘から眺めた、という感じなのですが、別に東山から眺めたような風景でもなく、船岡山から眺めた風景でもない…
どういう「視点」からこんな絵が描けるのかな… と、思ったのですが…
「京都を眺めおろす視点」
実は、昔は京都市内にあったのですよ。
それが相国寺にあった“七重の塔”なんです。
高さ109mほど…
えっ 高いっ という方もおられたり、
え… と言われてもぴんとこないな… という方もおられたりでしょうが…
現在木造建築物の“最高峰”は京都の東寺の五重塔、これが55m…
つまり、それの二倍。
もっとわかりやすく言ってしまうと、京都駅前に高くそびえる「京都タワー」が100mほどですから、室町時代にすでに「京都タワー」が存在していたんですよね…
京阪電車などで大阪から京都にむかいますと、左手の車窓のむこうに京都タワーが見えてきて、「あ、京都に来たな」という実感を持つ方もおられるとは思うのですが、あの規模のものが現在の相国寺のあたりにあったんです。
それにしても足利義満… 金閣といい、七重の塔といい、ものすごい発信力のあった人物としか言いようがありませんよね。
御所を見下ろす七重の塔… これが発信する“意図”は、金閣をはるかに上回っています。
偶然か意図的か…
地図をみていただくとわかりますが、金閣と銀閣を結ぶ直線のちょうど中央に相国寺があります。
金閣・銀閣、一対とでも言うべき京都二大観光スポットは、相国寺を中心とする点対称に配置されています。
(むろん、それを企画したのは、足利義満ではなくて銀閣を建てた足利義政になるのですが… 彼が金閣と相国寺を意識しなかったといえばそんなことはなかったでしょう。)
でもね、ものすごくスケールが大きいことをいうと、相国寺は臨済宗相国寺派の総本山で、鹿苑寺も慈照寺も、まぁ同系列ですから、京都市内すべてを境内と考えた、一つの寺のそれぞれの建物、と、考えるとこの配置もおかしいわけではありません。
金閣、銀閣は、言うまでもなく素晴らしい寺院ですが、相国寺も是非、参拝してください。
庭園や枯山水… こんなところに、こんな美しいスペースが隠されていたか… と、感動いたしますよ。
金閣・銀閣・相国寺、をセットで観光してみてください。
さて、金閣は昭和になって、放火によって炎上しました。
七重の塔も、15世紀に炎上しています。
金閣が炎上した事件は、三島由紀夫によって小説の題材となりました。
「金閣が燃える」という破局的な美…
それにしても、七重の塔が炎上した様子は、そのスケールは金閣炎上の比ではなかったでしょうね…
もしそれが夜だったならば、京都市内全域が、赤々と照らし出されたことでしょう…
残念ながら、当時の記録は淡々としていて、「文学的な」描写は残ってはおりません。