画像の転用、というと、ついつい今話題のお話しを想像してしまうかもしれません。
画像の使い回しや転用… 歴史の中でもよく似たことはあります。
まず、肖像画、というのは、平安時代のものはよく似ています。というか、以前にお話ししましたように、平安時代は、人の顔をそっくりに写すのはタブーでした。
いわゆる呪法の一つ。魂をとっちゃうぞ、というわけです。
明治時代に写真機が出てきたとき、魂を抜かれるっ と忌み嫌った人がいたという話がありますが、よく似た話です。(拙著『日本人の8割が知らなかったほんとうの日本史』でも、小野小町はしもぶくれの美人ではない、という話で紹介しました。)
ですので、平安時代の絵巻物、大和絵に出てくる人物はみなよく似た顔になります。
さてさて、平安末期。平家の最盛期に
平資盛
という人物がおりました。
こはにわも、わりと好きな歴史上の人物です。(なんていうか、源氏よりもこはにわは平家贔屓なんですよね… 平氏の横暴、なんて話が出てくるとついつい擁護、弁護してしまうんです。)
『平家物語』の逸話のせいか、一昔前のドラマや小説では、父の七光り、祖父の七光りを背景にえらそーにしてしまうあほぼん、みたいに描かれてしまいます。
平資盛は、平清盛の孫です。父は、清盛の嫡男重盛。その次男(長男は維盛)ですが、九条兼実の『玉葉』には嫡男、と、紹介されていますし、維盛よりも官位が上ですから実は、資盛が後継者である、という説も有力です。
どうやら、重盛は、維盛には「武」の長を、資盛は「公」の長をさせようと企画していたのではないでしょうか。
軍事についての権限は維盛が保持していたようですが、それに対して宮中では資盛が重要な地位をしめていく…
実際、資盛は、後白河法皇の近臣として仕え、従三位蔵人頭になっています。
『平家物語』の逸話では、殿下乗合事件が有名で、藤原基房の乗った車と、馬に乗った平資盛が鉢合わせしたとき、下馬の礼を資盛側がとらなかったということで、基房の従者たちが資盛一行に乱暴を働いた、ということが起こりました。
『平家物語』では祖父清盛が怒って兵をさしむけた、という話ですが、これは清盛=悪、に描くためのウソで、父親の重盛が怒ることになります。
実際は、基房のほうが資盛一行であったことに気が付いて謝罪の使者をさしむけているのですが、重盛がこの謝罪を拒否、重盛が基房に“報復”しようとしている噂が流れ、基房はびびって出仕しなくなりました。
ところが帝の加冠の儀式がおこなわれることになり、出仕しざるをえなくなります。
そのとき、襲撃されて基房が出仕できなくなった… というのが殿下乗合事件の概要です。
でも、この襲撃が10月21日だといわれているのですが、24日には重盛と基房は二人仲よく宮中に参内しているですよね…
しかも12月には清盛の推薦で基房は太政大臣になっている…
むしろ恩知らずは基房のほうで、重盛が死去した後、後白河法皇と密かに計らって重盛の領地を没収しようとたくらんでいるので、曲者だったのは基房のような気がします。
平資盛は、1158年生まれ、という説と1161年生まれ、という説があります。
この事件は1170年ですから前者なら12才、後者なら9才のとき… 子どもの資盛は、巻き込まれた、という感じで資盛には何の罪もありません。これだけで、祖父や父の七光りで育ったあほぼん扱いはかわいそうです。
“事件”そのものは『玉葉』『愚管抄』にも記されているのでウソとはいいませんが、平氏を悪者にするための誇張がほどこされた事件のような気がしてしかたがありません。
ちょいちょい、こはにわ先生っ いったいこの話と“画像”の転用の話、なんの関係があるの?
と、怒られそうです。ちょっと前置きが長すぎました。
実は、平資盛さんには肖像画があります。
壇ノ浦で亡くなったこともあり、山口県の赤間神宮にこの絵は残っています。
で、ですね… この肖像画、実は、加賀藩の前田利長さんの肖像画と、そっくり、というか、ほぼ同じなんですよ。(画像で検索してもらったら驚くと思います。)
一方は、赤間神宮にあり、もう一方は、富山県高畠家所蔵で後に魚津歴史民俗博物館に寄贈されました。
スライドして重ね合わせても、ほぼ一致すると思うんです。
いったいどちらがどうなのか…
二人とも官位は従三位ですので、装束がほぼ同じになる、というのはわからないことはないのですが(前田さんの場合は、中納言で武家官位だから、実際は黒色ではないのかという考え方もできます)…
これ… 利長さんを描いた画家が、平資盛さんの絵を「転用」したんじゃないのかなぁ…
と、こはにわは思っています。
では、いったいなぜ平資盛さんの絵を写しちゃったのか…
官位従三位の人の服装を探していて、平資盛さんの絵をみつけたのか…
にしても、山口県の赤間神宮と富山県ではあまりにも場所が違いすぎる…
時代も場所もまったく違う人物なのに、ほぼ同じ人物と思われる肖像画が残っている…
歴史に残る“画像転用”疑惑のミステリーです。
おっとすっかり忘れていました。
これを言わないと“ミステリー”は完結しません。
前田利長さんの妻、永姫さん。彼女は実は織田信長の娘なんですよね。で、織田信長なんですが… 織田家って、平氏を称しているの知っていますか?
織田家の祖は、なんと平資盛と愛妾の間に生まれた(といわれている)親真…
資盛さんの、ず~っと後の子孫の夫が前田利長さん。
その肖像が、平資盛像とソックリって…
なんとも不思議な“ご縁”です。
(これに関しては、学問的にまともな研究もあり、高尾哲史博士の「平資盛の肖像画と前田利長の肖像画の類似性」という論文が国学院大学の『新国学』(2013年10月号)に掲載されています。興味のある方はお読みください。)