第25回は徳川秀忠。
徳川幕府、第二代将軍です。
父、家康には子どもが16人いました。そのうちの一人、西郷局の子が、家康の三男、秀忠、ということになります。
一方、秀忠には子どもが9人いました。
わりと、多い、というべきでしょう。ただ、このうち7人が正室で大河ドラマでもおなじみ“お江”さんとの間に生まれた子なんですよね。
父、家康は、側室が多かったのですが、秀忠には側室がいませんでした。
何度も側室を持たせようと、家康は、菓子とともに若い女性を秀忠のもとに送りますが、菓子だけ頂いて女性は帰してしまう、という“ボケ”を発揮しています。
これは番組でもとりあげたエピソードです。
とにかく秀忠は側室を持とうとしない…
理由は…
正妻を愛していたから、というマイホームパパ説が好まれているところです。
でもね、だったらあと2人は誰の子じゃ??
ということになりますよね。
奥女中に手をつけて、子どもを産ませています。
なんと男子で名前は「長丸」。
しかしこの子はわずか2歳で死んでしまいました。
二人目が、秀忠の乳母に仕えていた女性、静さんに産ませた幸松丸。
歴史はときに、妙な展開を起こします。
この乳母は、秀忠が子どもを産ませたことが、正室のお江にバレないように隠そうと、尼の見性院という女性に預けました。
なんとこの尼さん、実は、武田信玄の娘なんです。
徳川家康の孫を、武田信玄の娘が育てる…
徳川家康は三方ヶ原の戦いで武田信玄と戦い、さんざんに破られてあやうく命を落とすところでしたが、まさかその武田信玄の娘に、自分の孫が預けられる運命にあったとは、そのときは夢にも思わなかったことでしょうね~
そしてこの子は、後に保科家の養子となり、会津の名君として有名な保科正之となるわけです。
おもしろい文書が残っています。
私は身分がたいへん低い女です。
でも、将軍さまに愛され、その御子を身ごもりました。
けれど将軍さまの奥さまが嫉妬深く、お城にいられません。
どうか子どもが是非、男の子でありますように。
そして親子が天寿全うしますように。
開運大願成就。 慶長十六年二月
お静さんが、氷川神社に奉納した祈願書です。
重要文化財にもなっています。
なんとも秀忠さん、罪つくりな男としか言いようがありません。
しかも、これ、「将軍さまの奥さま」=お江さんが、「嫉妬深い」と記されている貴重な史料でもあるわけです。(代々の将軍の正室、側室の性格などに言及した史料は他にありません。)
秀忠が側室を設けなかったのは、ようするにお江さんが嫉妬深かったから、というシンプルな理由でいいような気がしてきました。
で、隠れてちょこちょこ、女中に手を出し、お江さんにバレるとヤバいぞっ と、秀忠の周囲の人たちが苦労して「事実」を隠していた、というのが実際のようです。
なんせ六歳も年上の女房ですからね。
母親の目を盗んで、何かいけない遊びをしている子どもみたいなもんだったのかもしれません。