『曽根崎心中』。脚本、近松門左衛門… 言わずと知れた名作中の名作で、中でも、お初と徳兵衛が手に手をとって死んでいく「道行」の場面は出色です。
この世の名残夜もなごり
死に行く身をたとふれば
あだしが原の道の霜
一足ずつに消えてゆく
夢の夢こそ哀れなれ
あれ数ふれば暁の
七つのときが六つ鳴りて
残る一つが今生の
鐘の響きの聞きおさめ
寂滅為楽と響くなり
徳兵衛とお初。この二人が死への旅路の直前に聞いた「七つ時」の鐘…
現在の時刻では午前4時を打つ鐘でした。
鐘が六つ鳴り、あと残るのは一つ…
その残る一つは死んでいく二人にとって、この世と別れる最後の鐘の音。
この世から消えていく二人に、鐘は無常の響きを伝えていた…
なんと美しい名文でしょう。とりわけ、鐘の響きには、日本人の心をゆさぶるしみじみとしたもの悲しさがあり、浄瑠璃でも芝居でも、この場面に絶大な効果を与えています。
が、ちょ~と待って、近松門左衛門! あんたいったいどこで『曽根崎心中』を書いたんや??
ほんまに、「七つ時」の「鐘の音」、聞いたの?
なんのことか説明いたしましょう。
江戸の時間の「告示方法」はすでに説明しましたが、大坂と江戸は同じではないのです。
大坂の「時」を告げたのは、大坂上町台地の北のはずれ、淀川を見下ろす高台に建てられた「釣鐘屋敷」で、昼間の時間告示の方法は、江戸と同じだったのですが、夜間はまったく違いました!
「戌の刻」(午後8時)は太鼓、「亥の刻」(午後10時)は銅鑼(どら)、「子の刻」(午前0時)は鐘9つ…
鐘だけではなく、太鼓や銅鑼を鳴らしていたのです。
で、調べてみると、「丑の刻」は太鼓、そして問題の「寅の刻」は、な、な、な~んと銅鑼!
ど、どら?? 銅鑼って、あの中華風の、
♪チャカチャカチャンチャンチャンチャカチャ~ン♪ ゴワ~ン…
の、銅鑼??
七つの鐘六つ鳴りて
残る一つが今生の
ドラの響きの聞きおさめ…
え~ あの場面の雰囲気と… ちょっと違うのでは…
それにしても不思議です。近松門左衛門はどういうつもりだったのでしょう?
雰囲気に合わないと考えて、「銅鑼」ではなく、勝手に「鐘」に変更したのでしょうか…
でも、当時の大坂の人はみんな知っていたハズです。
「七つ時」の告示が鐘ではなく銅鑼であることを…
一つ考えられることは、この時刻表示は大坂が特異で、江戸や他の町ではみんな鐘を使用していたのではないか、ということです。
近松門左衛門は、ローカルな作品(大坂でしか通用しない作品)ではなく、全国に通用する作品をめざしたのではないでしょうか。
この場面はやはり「鐘」でなければならなかったのです。
お初と徳兵衛、そしてその死を悼む、より多くの観客のために「鐘」は鳴ったのでしょう。