第10回は、清少納言でした。
いちいち紹介するまでもなく、随筆『枕草子』の作者です。
清少納言は、殺されそうになって、「女である証」を示して、なんとか殺されるのをまぬがれた、ということが『古事談』に記されています。
そもそも、なぜ、彼女は殺されそうになったのでしょうか…
この「事件」は、コヤブ歴史堂でもとりあげた藤原道長が書いた『御堂関白記』に詳しく記録されていました。
清少納言には兄がいます。これが清原致信です。
で、この清原致信の“親分”が、藤原保昌。
そして保昌は、コヤブ歴史堂でもとりあげた和泉式部の夫です。
おもしろいですよね。
偶然ですが、コヤブ歴史堂でとりあげた
藤原道長
藤原保昌
清少納言
和泉式部
という4人が、深~いところでつながっているんです。
さてさて、「清少納言襲撃事件」を、『御堂関白記』に書かれていることをもとに“再現”します。
藤原保昌は、子分の清原致信に命じて当麻為頼という人物を殺害させました。当時、保昌は大和守でしたが、自分の言うことをきかない大和の豪族当麻為頼をにがにがしく思っていたのです。
やってこいっ
へいっ 親分っ
と、保昌の命令で清原致信は当麻為頼を殺害したのでした。
やろ~ よくもおれの大切な子分をやりやがったなっ
と、怒ったのが、源頼親でした。当麻為頼は源頼親の子分だったのです。
源頼親は大江山の鬼退治で有名な源頼光の弟。“大和源氏”の名誉にかけて、「復讐」を誓いました。
大和の国司と大和の地元の有力者の対立が背景にあったのです。
源頼親は、自分の子分たちを集めて言いました。
やろーどもっ 清原致信をやってこいっ
やられたらやりかえせっ 倍返しだっ!
と、言ったかどうかはわかりませんが、源頼親は子分たちに命じて清原致信の屋敷を襲わせます。
1017年3月11日。六角富小路にあった清原致信の屋敷に、八騎の武者と十人ばかりの兵が乱入しました。
この日は、即位したばかりの後一条天皇が京都市内を移動中で、警備の兵がそちらに集中していたスキをねらった計画的犯行です。
このとき、この屋敷にいたのが、すでに出家していた僧形の清少納言だったといわれています。
男は一人残らずころせっ
女はみのがしてやるっ
ま、まってくださいっ わたしは女ですっ 男じゃありませんっ
というにゃんたのマル秘ファイル、『古事談』に書かれていた、再現VTRの場面につながるわけです。